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ある本を読んでは飽き、途中で別の本を開いては閉じ、ということをどうも最近繰り返している気がした。数えてみると、どうやら私は四冊の本を並行して読んでいるらしい。大学の講義のテキストや、参考書として使用される単行本も数に入れれば、十冊以上をただいま読書中である。
別にこんな数字は自慢にならないはずで、読者の中にはもっと多くの書籍を並行読みしている方も多いだろう。そのこと自体が良いか悪いかはここでは問題ではない。そんなに多くの本を同時に読み進めていながら、私たちの頭がたいして混乱しないのはなぜか、ということを考えてみたいのである。
外山滋比古は『思考の整理学』の中で、小学校の時間割の例を挙げて、「頭の整理をするためには異質なものを接近させるとよい」ということを説明している。国語や数学、理科、図工、さらには体育という脈絡のない科目がランダムに配置されていることで、前の時間に習った科目のことを「忘れ」(=脳内に定着させ)、頭をリフレッシュすることができると言う。
この原理が「並行読み」にもあてはまるのではないだろうか。経済学の教科書を読み、疲れて小説に浸り、そういえばと思いだして精神分析のおさらいをする。こんな風にバラバラの情報を頭に入れれば、脳はそれらを別個に処理し、蓄積してくれる。多忙が続いて小説に戻るのが久方ぶりになったとしても、続きから読み始めれば以前に読んだストーリーが鮮明に蘇り、その世界に入り込むのにそう時間はかからない。
ただし、ラテン語の後にフランス語を勉強したり、『夢十夜』のあとに内田百閒を読んだりということはしないほうがよい。私にも経験があることだが、どちらに何が書いてあったかを混同することがあるからだ。無論、両者の共通点が強調されるというプラスの面もあるのだけれど。
したがって「より有効な並行読み」を提案するとすれば、外山の言葉そのままであるが、「異質な書物を接近させよ」ということになる。あとは、記録をつけながら読むなど「完全忘却防止策」を適宜施せば、読書生活はより有意義かつ快適なものになるはずだ。