孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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和語において、母音音節(あいうえお)は基本的に語頭にのみ現れる。
母音は最も自然に音声化できる音であり、自然界に常に溢れている。
人間は母音から始めて、世界を切り取ってゆくのだ。
「あ」は「彼」を表し、遠くの方へと言葉を届けるために、口を開き、最も明るく発音される。逆に定義すれば、「あ」の届く範囲が人間の世界として規定されるのである。
「い」はかつて全ての音の頭として威張っていたが、今では主に形容詞の語尾として、人間が外界から受けるあらゆる印象の余韻として響いている。無常観のシンボルである。
「う」は「有」であり、存在の根本的なありかたを表現する。口を狭めて発音するのは、気を凝縮して原書の存在の発生を摸しているのだ。
「え」は意外性の表現。他の母音に比べて発音が中途半端なため、ひねくれていて意外なところで急に顔を出す。母音の中でもはぐれた存在である。
「お」は「え」と同じく中途半端な母音でありながら、「え」と違い社交的である。名詞の前に付けば語調をやわらげるなど、人と人の間の、そして音と音の間の潤滑油のように働いてくれる。
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