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孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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今日書くのはラフマニノフについて。

 

まず彼の曲にはどんなものがあるか。

「のだめ」のおかげで知れ渡った(もちろん「のだめ」の前から有名であったのだけれど。)、ピアノ協奏曲第2番。ラフマニノフ好きの間ではこの第2番よりも第3番の方が人気があるようである。どちらにしてもかなりの難曲である。

それから、パガニーニの主題による狂詩曲。ピアノ協奏曲という名前ではないが、実質協奏曲である。変奏曲になっていて、第18変奏が有名である。

よく知られているのは、ラフマニノフが相当大きな手の持ち主であったことで、そんな彼がピアノ曲を作ったらどうなるかというと、普通の人では弾けない(あるいはとても難しい)箇所がたくさん出てくるのだ。

大きい手を持っていたとしても、ラフマニノフの曲はかなり難しい。ただ、難しいのは難しいが、私には「合理的」なように見える。技術的な難しさにもいろいろあるのだが、ラフマニノフの場合、難しいけどこうしたい気持ちもわかる、というか、なんというか。ラフマニノフはピアニストでもあったので()、おかしな指の動きをするような曲を書かなかったということだろうか。

最後に紹介しておきたいのは交響曲第2番。ラフマニノフの第2番とだけいうと「のだめ!?」というリアクションをとられてしまうのだが、これも親しみやすい曲である。エリック・カルメンというアメリカの歌手が第3楽章をモチーフとした曲を出している。とても美しいメロディである。

 

※…ラフマニノフが、多くの名曲を書いていながら、途中で作曲活動をやめてしまったのは、ピアニストとしての仕事が忙しすぎたからだ、とどこかで読んだことがある。
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私の祖父は、若いころ猟を趣味にしており、祖父の家にはキジやヌートリアといった動物の剥製が置かれていた。ガラス玉の目は虚空を見つめ、覗き込む私を映しはしなかった。元動物のその子の中にはもう何も入ってやしない。骨も内臓もみんな取り出されてしまって、表面だけがその子の持ち物だ。観賞用の剥製なんてまさに人間のエゴを具現化したものと言えよう、中には綿が詰まっていて、妙にかっこつけたポーズをとるその置物に本当の動物らしさは見出せないはずだ。
しかし、幼いころの私はそのひんやりとした動かない動物に「かわいいね。」と話しかけ、体を撫でていたものだ。そして今も、動物の剥製を見ると「あぁ、動物だ。」と思う。彼らは今にも動き出しそうであるし、生前の思い出やらを胸の内に秘めていそうなのだ。胸の内には綿しか入っていないというのに。
彼らに「いきもの」性を感じてしまうのは、人間がものの表面、つまり目に見えるところしか見ていないからだろうか。剥製の作り方をわかっていても、見た目のインパクトの強烈さに負けてしまうからだろうか。そんな情けないやつに、勝手に命を奪われて、表皮だけをしげしげと眺められる。彼らにとってこれほど屈辱的なことはないだろう。
自然界から遠ざかってしまった私たちに何かを思い出させてくれるもの、そして偉大なる自然の中で堂々と生き抜いたもの、そんな風に彼らを敬う気持ちがまだ私たちのどこかに残っていることに、「いきもの」性の根拠があるのではないだろうか。そうならば彼らもこのエゴを少しは許してくれるかもしれない。そんなエゴイスティックなことを考えている。

『孝太郎』から遠く離れて

 

 

〈壱〉『孝太郎』の誕生

 

 2005年、初夏。文芸雑誌「孝太郎」の第一回編集会議が開かれたあの日のことを、私は昨日のことのように思い出す。放課後の教室、黙々と自習する生徒もいる中、紙面を表す四角形をいくつも黒板に書きながら、編集計画を語る編集長。それに対して各々の思うところを意見する3人の編集委員。その中の1人が私であった。

 

 「雑誌をつくってみないか。」後に編集長となる彼に、私がそう提案したのは、会議が開かれる二週間ほど前のことだった。高校に入学して以来、それなりによく勉強して多様な知識を吸収し、めでたく高校2年生のスタートを切ったはずであった。しかし、何か物足りない、すべきなのにしていない決定的な何かがある。そういう思いが、おそらくお互いの中にあった。

 

 我々はおそらく、自分は意外とすごい可能性を秘めているんじゃないかと思っていた。我々はおそらく、自分の可能性にまわりが気づこうとしないことにいら立ちを感じていた。我々はおそらく、自分の可能性が外に向けて発揮されないままに消えていくのではないか、というかすかな焦りを抱いていた。我々は〈表現〉という営みに餓えていたのだ。

 

 雑誌創刊という案は、私のふとした思いつきであった。具体的なことを細かく考えていたわけでもなく、そもそも実際計画が動き出すとは夢にも思っていなかった。ところが、後に編集長となる彼の反応は予想をはるかに超えていた。彼は目を輝かせ、善は急げとばかりに次の日から具体的な案を練り始めた。

 

 いかなるスタンスを取るのか、どのようなコーナーを作るのか、どのような形で世に出すのか、……。私なりの急ごしらえの案もあったが、彼の考えの方がいずれにおいても何倍も優れていた。文芸を扱うこと、読者からの投稿も掲載すること、冊子を20部ほど作って教室で配ること、等々。疑うべくもなく、編集長は彼であった。

 

近しい仲間2人にも声をかけ、私とともに編集委員として創刊に携わってもらうことになった。〈表現の場〉の創設に希望を抱いたのであろう、彼らも非常に意欲的であった。彼らは今も『孝太郎』を支え続けている。

 

〈孝太郎〉という誌名は不思議な形で決まった。ある日私のもとに彼からメールが届き、「この中から雑誌の名前にふさわしいと思うものを選んでください」という文面に、ネイム・リストが添えられていた。そのほとんどが、〈そよかぜ〉とか〈青空〉とか、透明でありきたりな名前であったが、その中に唯一異色を放つ名前があった。誌名はインパクトがあったほうが良いという私なりの考えと、彼に何かしらの意図があるのではないかという勝手な推測から、私は「〈孝太郎〉が良いと思う」と返事をした。

 

かくして文芸雑誌『孝太郎』は産声を上げた。編集長がまぎれもない生みの親、私は能無き産婆であった。〈孝太郎〉とは何(誰)なのか、それは未だ解かれぬ謎である。私も一時期はじれったい思いを持っていた。しかし今では、それが解かれる必要のない謎であるということを知っている。我々が愛情をかけながら彼を育てれば、いつか〈孝太郎〉自身の口から自らの正体が語られる、そんな日が来るだろうと信じるからである。

 

(6回シリーズでお送りします。/革島秋遷)

 昔の女優さんのポスターなんかを見ると、その半分以上は何か違和感を覚えてしまいどうも気に入らないなと思ってしまう。そして、昔と今とでは美の基準がどうも結構ずれてるんだと感じる。よくある話、平安時代の絵巻物に登場する女性とて美人として描かれてはいるのだろうが、あれを現代において美しいとされる人と同じ土俵にあげることはできない。つくづく、時代によりて美は移ろうものだと思ってしまう。
 しかしながら、昔のポスターや絵巻物などを安易に信じ込んでもいけない。我々が普段目にするそのような昔のもの、というのは結構選別されたものだからである。教科書やら図鑑やらに現れる昔のものは基本的に現代とは似つかぬものとして載せられている。現代と同じようなものを載せたところでそればかりでは面白くないし、それぞれの時代の特色を伝えるのには不向きであろう。そこに載せられているものは時代の常識というよりは、トレンドなのではなかろうか。
 また載せられているものがトレンドにかなったものばかりであることは、その教科書なり図鑑なりがそれぞれの時代の大きな流行を伝えているに過ぎない、ということでもある。それゆえ、載せられている昔のポスターや絵巻物で昔の人々の感覚を直ちに判断するのは良くないのだろう。そもそも現代に流行となっているようなものでも自分の理解の到底及ばないものはたくさんある。渋谷系のニーチャンのポスターを見ても何一つしっくりこない。だがそれを好む人も大勢いるからこそ“渋谷系”という流行が確立しているわけで、結局自分が分からず屋なだけかよということになって、気が滅入る次第である。だがその一方でいつの時代も基本的な基準はあまり変わらないのかな、案外どの時代にいてもやっていけるものなのか、と妄想を膨らませたりもする。

 今まさに執筆中のレポート…というと聞こえはいいですが,追い立てられて書いているところのレポートのテーマが「あなたにとって“場所”とは何か?」というものです。珍しい主観的レポートなのですが,思い入れのある“場所”を辿ることでその意味を自分のアイデンティティというか,そんな感じの何かにつなげることを目指しています。

 すこし飛びますが,「地理」っていう単語はもはやケッペンさんのいる世界ばかりではなく,人間の経済行動や政治や文学にまで入り込むことが出来ます。例えば軽井沢。高級避暑地として語られることはいい加減少なくなってきたかと思いますが,ちょっと前まで,例えばドラえもんの骨川スネ夫が別荘を持ってる場所であるなど,文学,ドラマ,漫画まで高級避暑地として扱われていたわけです。軽井沢はもともと宿場町で,それが衰退したところに明治期後半,外国人が避暑しに来た,このことでイメージが作られたわけです。で,イメージが出来ると真似してみようとか思うのが人の性。それに憧れて富裕層が大正~昭和初期に別荘を作りました。そして,ヒルズが出来るとちょっと行ってみようとか思うのも人の性。軽井沢は「高級」のイメージの下,寧ろ大衆化,観光地化されてしまったわけです。それが戦後,ある程度復興した後の時代で,大衆化の現実がありながらイメージだけは今でも軽く残っているわけです。
 と,言うわけで軽井沢の気候という自然要素の上にあらゆる人間の行動がおかれて,我々のイメージの中の「軽井沢」が出来ているわけです。

 場所というのが単に自然の要素だけでなく,多くのイメージの上に立ち,そこにさらに人は思い入れを加えるわけです。あの商店街がシャッターの目立つ通りになってしまった。そういう時に単に「変わった」ことへの郷愁ばかりでなく,そのかつての姿に残る自分の失いたくない時間や思い出と言ったものが否定された,という気持ちも含まれることでしょう。また,そういった時に鄙びた街並みなどを見つけると「何か懐かしい気持ち」になるでしょう。消えた姿を,時空を超えて別の地点に“場所”として投影しているわけです。

 地図を見ていても自分のいる環境が見えてくるわけではなさそうです。街を歩き,眼を向ける中で,“場所”が明確に意識できると思います。レポートが遅々として進まないのは単にサボってるからではなく,一つの思い入れに深く食い込まないといけないからだ,と自分に言い聞かせつつ,何だかんだで“場所”探しに夢中になっているのでした。
 

「わ」は、我々の「輪」そしてそれが国になって「和」。和気藹々とした理想的な状態を表しているようだが、二音節以上の単語になると「悪い」「別れる」「忘れる」などマイナスイメージのものが多い。

「ゐ」は現代では使われなくなった音。ゐの字形が「為」から来ていることでわかるように、「為」など特定の漢字には「うぃ」という発音が充てられていたし、和語にも「ゐ」を含む単語はたくさんあった。「参った参った」を「まうぃったまうぃった」などと発音すると奈良時代の気分。

ワ行の「う」はア行の「う」と発音が同じということになっているが、本当だろうか。「植える」という動詞は古語ではワ行下二段活用であり、終止形は「植う」(2文字目はワ行の「う」)。これを発音するのに「うー」とは言わずに、「uwu」といった感じで二音節目に入る前に多少口をすぼめたのではないかと考えられる。よってワ行の「う」は固有の音としてやはり存在している。

「ゑ」も「ゐ」と同様。それにしても「るん♪」に見えてカワイイ。

「を」は現代ではひとつの単語にしか割り当てられないという面白い文字。文字という材料が限られている以上、ひとつの言語内ですべての文字の使用頻度は一定になるように調整されるのが常であるが、「を」はそこにあるだけで助詞だと分かりやすいので、変化から取り残されてしまった。

「ん」は、

 


といった感じで、五十音のそれぞれの音について、ときに感覚的に、ときに学術的に、ときにトンデモ学説的に思うところをひたすら書いていった。なので、言語学界では全く受け入れられないような説明・述語の使い方もまじっていたことをお断りしておく。
この作業は、恐らく読む者よりも、「この音について何を書こうか」と考えている私の方に多くの発見をもたらしてくれた。日本語で書かれた文章を適当に選んで、その中にお目当ての音を探しながら読んで、それがどういうときに使われどのような音感を文全体に与えるかという風に考えていくのは面白いので、是非一度やってみることをお薦めする。
情報リテラシーを語るときにスキャニングという言葉がよく使われる。たくさんの文章の中からキーワードのみを探しだし、自分の欲しい情報を効率良く手に入れるという読み方のことだ。私が今回おこなったのは音のスキャニングということになる。言葉は読み方によって無限の情報を我々に与えてくれる。音のスキャニングはその最もミニマルな方法ということになるだろう。

今回はロマン派(1)

 

ショパンは「ピアノの詩人」と言われる。その作品のほとんどがピアノ独奏曲。それ以外はピアノ協奏曲や歌曲、チェロのためのソナタなどがある。

ショパンという名前は超有名であるし、「子犬のワルツ」や「革命」(2)、「幻想即興曲」「ノクターン」(3)、などはよく耳にする。

聞いていてわかるのは、古典派(ハイドンとかモーツァルトとか。ベートーベン…は微妙だけど一応古典か)の曲だと、メロディに普通の音階(4)がよく使われる(この言い方はあまり良くないけど)が、ロマン派だと半音階がメロディになってくる。

(になってない気もするが)が長くなってしまったのでこれくらいにしておこう。ショパンは有名だし、特に書く気も起らないので。いや、しかし、「クラシックオタク」と自称する人も、ショパンはまるで聞かない、という人も結構いるようであるが。

 

(1)ロマン派とは何か、という問いは難しくて私には答えられない。とりあえず、ショパンとかリストとか、シューマンとかチャイコフスキーとかのことだと思っておこう。

(2)「練習曲」というジャンル()があって、それはピアノの演奏技術を高めるために、トレーニングのために書かれるもので、なのできいてもつまらないものである。野球をやるために筋トレをやるようなもの()で、実際野球をしてるのとは違うしつまらない。でも、やってるうちになぜか好きになってくることもある。で、ショパンは12曲からなる「練習曲集」を2つ作っているのだが、これはつまらないどころか、演奏会でもしばしば取り上げられる「芸術作品」になっている。有名な「革命」は曲集の12曲目。左手のトレーニングになる。(左手が難しい動きをする。しかし聴いた感じよりも簡単に弾ける)

(3)ノクターンの第2番はあるフィギィアスケートの選手がバック音楽()として使っていた。

(4)私が言いたいのは、たとえばモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲とかベートーベンの「プロメテウスの創造物」序曲をきいてもらえばわかるかもしれない。「フィガロ」の有名なメロディはドレミで書くと、「レードーシラレドシラレドシラソファミレ」であるし、「プロメ」は「ドソラシドレミレドソラシドレミレドソラシドレミファソ…」である。(わかりづらい)

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