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孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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ト長調は水色、変ニ長調はあたたかい()赤、ヘ長調はオレンジ、ホ長調は深い緑、というふうに、僕はそれぞれの調に対して、色のイメージをもっている。だから、よく知っている曲が、アレンジされて調が変えられているのを聞くと、それはまったく違う色の曲になってしまうということで、すごく違和感を覚えたりするわけです。

で、こういう話をすると、「絶対音感?」とか言われるんですが、聞こえてくる音がすべてドレミで聞こえたりするわけではないので、だいたい音をきいて階名はわかりますが、まぁ大したことはありません。

で、こういうことを書くと、「中途半端に自慢?」とか言われるんでしょうが、たぶんみんな絶対音感的なものをもっているんじゃないかと僕は思うので、そんなこと言わないでほしいわけですね。

先日学校の仲間とごはんを食べに行って、そこで奈良出身の人と京都の人と、富山の人といっしょになった。そこで、それぞれの地方のイントネーションの違いの話になったんですが、そこでいろんな言葉を京都人が、あるいは富山の人が“ネイティブな”発音で言う。そうすると、はっきりと違いがわかる(京都と富山なので違って当然ですが)んですね。しかし興味深かったのは、抑揚の付け方が決まっている、それぞれ発された音を楽譜にしたとしたら誰が言っても“同じ楽譜を話す”ことになるように感じたことです。

人によって声の高さは違いますが、我々はちゃんとそれを覚えています。だから、いつもと音の高さが違ったり、抑揚の付け方が微妙に違う(微妙に違う音程で話す)ということがあると、「いつもと違うな」と思う訳です。

 こういうこと無意識的にやって、声色を見て、相手の気持ちとか状態を量っている。そういう意味じゃあみんな音に対して繊細な感覚をもっているのだと思います。そういえば、音痴な人のしゃべるときのリズムとか抑揚って、やっぱりズレルんでしょうか。そうでなければ、結構すごいことじゃないかと思います。
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大学に新入生が来て,周りの状況はかなり初々しいものになっています。授業の出席率といい,教科書販売の行列といい。

 

 ところで,「ピッカピカの一年生」という言い方が何だか哀しいものに思えるようになりました。ピッカピカと形容するのは「古びた」人たちでしょうか。ピッカピカならそのうち汚れがこびりついていくんでしょか。これは,大いにあり得ますね。要領よくサボることを学んでいったりとか…いや,脱線。こんなことをいちいち言う自分もどうも老けたなあとか考えたり考えなかったことにしたり。

 

 同じことは「夢を持って生きる」ことを,何故か若年層に求めることにも言えるかもしれません。それも「自己実現の夢」に限り。何でしょう,それを聞いてるのは大概夢を諦めた側であったり…。先のピッカピカも,今度の夢も,両方なくしてしまった側の懐古,諦めの蠢く言い方に聞こえてきます。

 

 事始のフレッシュな気持ち,それ自体はとても良いものだとは思います。ですがそれもいずれその意思を見失うのを見越しているみたいで。いったいどないせえと言うんでしょうか。

 

 清新な時の気持ちを本気で持っていればこれらの形容は見た目にも当てはまらなくなるのではないかな,と思いました。いますよね,見るからにフレッシュな,活気に満ちた人が。春になって,やたらと常套句でフレッシュなどと言われるとつい皮肉ってしまいました。フレッシュという言い方に噛み付くのも,古びていく姿なのでしょうかね。
 徳島県は鳴門海峡といえば渦潮が有名だが、そこには「渦の道」という観光スポットがあり、大鳴門橋の橋桁に設置された高さ45mの遊歩道から渦潮を見下ろすことができるようになっている。私が行った時間には残念ながら渦は巻いていなかったが、自分の立っている透明の床の真下に海面が波打っている様はなかなか非日常的なもので楽しかった。
 ああいう場所に行くと「床が抜けたらどうしよう」「どの程度の重さまで耐えられるのだろう」とやはり考えてしまうのだが、顧みると日常の生活圏内にもそういう場所はたくさんあって、というか二階建て以上の建物はすべてそうなのであるが、それでも我々は何の恐怖も違和感も感じずに生活を送っているというのは、実は結構特殊なことなのでは無かろうかと思うのだ。
 別の話をすると、等速直線運動の電車に乗っているときには床は止まっているのと同じになってしまうわけで、それと同じく二階建ての床というのは地面と全く同じものとして我々は捉えていて、謂わば「擬似地面」とでも名付けたくなる存在になっているのだなあ、と考えたのだが、そういえば中学校で位置エネルギーのことを習ったときにも今と同じような気持ちになっていたなあ、とも考えたり。昔は大地を神として崇める信仰もあったらしいが、そういう意味でも現代では神が死んでいるといえるかもしれない。
先日、大学の講義中に、ある日本映画の海外版を見る機会があった。それは、海外向けに台詞は全て吹き代えられているもので、場面によっては日本版にはない台詞を付け足されていたりもした。
 最初は、深く考えずに見ていたが、日本版では沈黙の中、登場人物の動作だけで、その登場人物の気持ちが表現されていた筈の場面にも、海外版では台詞が付け足されているのに気づくと、なんとなく抵抗感を感じた。確かにその台詞は、その場面の登場人物の感情を間違ったように表現しているわけではなかったのだが、そこは、あえて台詞で表現せずに、沈黙の中に漂う、曖昧な、けれど確かに伝わるだろう雰囲気で表現されているからこそ、良いのではないかと思ったのだ。
 台詞の付け足しには、おそらく文化の違いなども関係しているのだとは思う。もしかしたら、日本人が受け取る感情に近いものを海外の人が受け取るには、付け足した台詞は必要だったのかもしれない。けれど、そこには、翻訳者や、編集者の意図が入っているのは確かで、海外版のその映画は、日本版の映画とは、ある意味、もはや違う作品かもしれないとも思う。
 このように考えると、私たちが日々触れている海外の映画も、日本人の意図が入った、もともとの作品とは違う作品ということだろうか。外国人とのしっかりとした相互理解のためには、相手国の文化や言語を知る必要があるというのは、よく聞く話だが、海外の映画等の作品も、本来の作品そのものの雰囲気を楽しんだり、感じ取ったりしたいのなら、その作品の製作者の国の言語や文化を知った上で、翻訳者や編集者の意図が入らない原作版に触れたほうがいいのかもしれない。

 デイリー孝太郎の執筆の一端を担わせてもらってから、自分なりにではあるが毎週教訓めいたことや意味のあることを書かねばならないと一種の脅迫観念に駆られていた。ときおり詩を書いたりして自分で設定した義務を回避してはいたが、大方「かくあるべきだ。」だとか「この現象には何々という意味がある。」だとかいうように、文章を進めてきた。うまく皆さんに伝わっているかどうかは私の文章力にかかっているので全く別問題として、私個人としては実に充実した気分で書かせてもらっていた。

 

 今思えば、こういう文章は本当に書くのが楽だ。自分の意見をただつらつらと書けば良く、論理の整合性などは勝手に作ってしまえばいい。(それでこそ創作と言えるのだが)教訓を示してはいるが実践に移すことは難しく、常にここに書いてきたような考え方をしている訳ではない。けれど、ひとつの提案としてある意見を述べてきた。

 

デイリーを書かせてもらっている期間、私はとても穏やかな環境の中に身を置いていた。周りにいる気遣いの上手な友達たち、見守っていてくれる大人たち、私の人間関係は全てそういう居心地の良いもので構成されていた。そしてその世界は狭いものだった。また、私が汗水流して立ち向かうべきものは少し強敵であったけれど、思えばその敵はたった1つで、私がすることは知識のアウトプットに過ぎなかった。そこには選択の余地もなく手段の多様性もなく、必要なのはがむしゃらさだけだった。だから、今まで平静を保ち飄々としていることが許されていた。ある種の余裕があったので、少々人生を知ったかのような高慢な匂いのする文章を気兼ねなく書いてきた。

 

 先日、ほんの些細な事があった。最近になって初めて踏み入れた世界にて、である。簡単に言えば「嫌な思い」をした。まるで幼い頃にした友達との喧嘩のように、その光景は私の心に無神経にズカズカと入ってきたのだ。ずっと、おそらくここ何年間か経験していなかった苦しくて苦しくて逃げ出したい気持ちに襲われ、一瞬で今までのこの安定が崩れ去った。こんな大袈裟に書くと何があったのかと心配されそうだが、本当に数秒間のどうでもいいことなのだ。それなのに。

 

 自分は精神的に成長したと思っていたのは大間違いであった。今までいい人に囲まれてその人たちに頼りきった結果、生身の人間との関わり方の難しさを忘れていた。白い紙へのアウトプットの方が難しいと思い上がっていた。見えないものをみる、人間との関わりを見つめる、人に優しく、ここで色んな理想を垂れてきた。それらは今も間違いとは思ってはいないが、まさに机上の空論。実世界における経験無しには、何の説得力も生まれやしないのだとひしと身に染みた。

 

まもなく成人となるが、なりたくなかった子供大人になってしまうのだろうか。ため息が出るほど、まだまだ修行が足りない。一歩ずつ、本当の意味で成長したいと切に思う。

4/8
 "きっとサクラ咲く"
  これは、今は苦しくても明るい春はきっと来るよ、ということの比喩である。だが私は今日、この"サクラ咲く"というのを体感したように思う。
  祖母の家へ向かう道中、長岡天満宮の大池のそばを通った。今がまさに見頃の桜が薄桃色に咲き誇っていた。それを目にして思ったのである。あぁ桜って綺麗だな、と。そして気づいたのだ。桜を綺麗だと思ったのなんて、本当に久しぶりだ、と。
  いつぶりだろう、そんなことは忘れてしまったが、少なくとも最近私は桜のことを他の花と同じ程度のものくらいにしか見ていなかった。今日、久々に桜を見て心を動かされ、私は久々に日本人に戻った。
  桜は、木に花がつく、というよりも、木が花になる、というような咲き方をする。どこからどのような距離で見ても繊細なのに、圧倒的な存在感を放つ。おまけに、散り方まで華麗である。椿みたいに首からボトッと落ちることもなければ、バラみたいにベロンと剥がれていくこともない。ただハラハラと春の空に舞う。美しい花だと思った。
  今春、二度目の受験を終えた私はやっと、本当の意味で、桜が咲いているのを目にしたのだろう。
  桜が咲いていて、それはとても綺麗だった。

鴨川沿いの桜が見ごろを迎えた。2・3日前、東岸を少しばかり歩いたが、あたたかな陽気の中で青空に映える染井吉野は、典型的な美しさを誇っていた。

いま「典型的」と言ったのは、私があまり感動しなかったからである。最近、満開の桜を見て心を動かすことがなくなった。ある友人にそう言うと不可解な顔をされたが、これは私の事実である。それこそ「典型的」すぎるからか、あるいは私がへそまがりなだけなのか、理由は分からないが、とにかく桜はさして私の心を乱しはしない。

それよりも、桜と柳、連翹(レンギョウ)と雪柳といった色の配置や構図を私は美しいと思った。鴨川沿いには枝垂柳と染井吉野が交互に植えられていて、桜色と若草色のコントラストが見事である。そこに連翹の黄と雪柳の白がアクセントとして加わる。

この風景には絶対的な勝者が存在しない。それぞれの花が自分の魅力をいかんなく発揮し、風景全体を支えている。青空や白い雲、それらを映す水の流れも不可欠な要素だ。いくら桜が美しいといっても、黄や緑や白の助けを得ずしては、その魅力は半減してしまうに違いない。

もちろんこの国には、吉野山のように、一面桜木に覆われた生物学的には異常な地帯も存在する。それを美しいと思う人は思うであろう。だが、そもそも桜の花が美しく見えるのはその幹が黒いからだ、と、こんな理屈が成り立ちはしないだろうか。桜の幹がピンク色だったならどうであろう。それは極端だとしても、白樺のような淡い木肌だったならどうであろう。桜花の存在感は実際より薄らいでしまうのではなかろうか。

要は、桜の花はその背景や対比物の存在によって際立って見える性質をもつということである。桜の花ひとつに注目してみればそれは実に華奢なもので、日本人の美意識を背負って立つだけの力があるとはとても思えない。それがたくさん集まり、黒々とした幹に映え、周囲の草花に支えられてはじめて艶やかににおうことができる。桜というのはそういう花なのだと思う。

とは言うものの、私は桜を憎むものではない。春に咲いてくれなければ、私とて淋しい気分になるであろう。既成の美に対し、ちょっと喧嘩を売りたくなっただけである。

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