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物理はつまらない。わからない。楽しくない。
そういう人に今まで多く出会ってきた。
だいたい、私もそうであった。(今もまだ全然わからないし、あまり楽しくないかもしれない)
高校時代少し点がよくていい気になって、物理が好きなように自分でも錯覚していたが、ホントのところわからないのである。
物理は無味乾燥とした感じがする、というのは中学生のときに思ったこと。自分の生活からは浮いている感じがするし、数学みたいにパズルっぽく楽しめることもない、ということだっただろうか。
しかしそんな難しいし楽しくもない物理をなぜやらなければならないか。少なくとも高校生まではまるで物理に触れない人はいないはずである。
やはりそれはいわゆる「物理的なものの見方」を知っておくべきであるからだろうか。
それならなんとなくわかる気がする。実際自分も、わからないなりにも、ものを見るときに物理で学んだことを使っているときがあるのに気づく。あと、わからないなりにも、なるほどな、と思うことはある。
それがどうしたのか、というかもしれない。遠心力は観測者が加速度運動をしているから云々とか、それがどうした、コーヒーカップに乗って、遠心力を感じました、でいいじゃないか。ドアを開けるとき蝶つがいに近いほうを押したほうが力がいるとか、それは力のモーメントがどうのこうのとか、救急車のサイレンの音の高さが変わるのはなんでかとか、いろいろ教科書には載ってるけど、それがどうだというのかと。
あえて、あえて言うが、こういう態度も捨てたものではないと思う。冷めた目線を持っておくべきという意味で。こういう考え方があります、こう考えるんです、という方法は知らされるべきだと私は思う。つまらなくて難しくても、やっておくべきだ。ただ、知っておくべきとまでしか言えない。「それで?」とか「ホンマか?」みたいな部分はむしろ残しておいてほしい。
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 最近読んだ本。安野光雅,俵万智両氏の著書,「そこまでの空」。安野氏が絵を描き,俵氏がうたを添えた,ちょっと不思議で,深い本でした。絵とうたは決して直接関係しているものではないのですが,それぞれに独特で,それでいて何か繋がっているようで,読む人ごとに意味づけ出来るとも言える,なんとも捉えがたい芸術でした。その中のうた,一つ。

 

絵葉書はそこまでの空「明日からはここにいない」という語残して

 

表題にもなっているうたですが,何とも新鮮でした。世界中の風景から一枚切り取れる絵葉書のしめす空間の広さと,明日既にいない,という一瞬の時間の差,それから絵葉書を送った人に広がる空間の広さと,受け取った人が送り手の言葉を聞いているしかない空間の狭さの対比,そして「そこまでの」という表現。普段あまり短歌に親しまない筆者ですが,これには読むのを止めて思いにふけってしまいました。

 

恋のうた,でしょうね。きっと。なおかつ秘めた思い。でもお互いうすうす気づいてる,そんな感じではないでしょうか。想像でもわがままですね。絵葉書というのが,二人の距離を曖昧にしていて(もしかしたら,近いのに絵葉書なのかも),そして明日いない,とだけまた曖昧に書いて。近づけそうで近づけないこの微妙な感じ…と書くと俗に聞こえる感情をとても黙して伝えているように感じました。

 

少ない字数で表現を尽くす短歌と,文字を用いずに表現を尽くす絵の共存,同時にその隙間,何か単なる歌集でも画集でもない,恋のうたでも絵との隙間から単純にそう思わせてくれない,不思議な本でした。

 

筆者の幼稚な感想文などが参考になるのかどうかあぶないところですが,今日はこの本の紹介ということにします。

 

「そこまでの空  -俵万智の贈りもの」 安野光雅,俵万智 河出書房新社,1998

 ホールは楽器である、などとよく言われるが、もっとラディカルに言えば音楽を聴く人間の鼓膜だって楽器だと思う。それはつまり「振動している」ということ、「音楽を感じている」ということにおいてである。楽器は音を"出す"、と言う。人は音を"聴く"と言う。確かに両者の振動に音速による時間差はあるものの、一度耳まで届いてしまえば、それは共振現象である(物理的に正しい意味かはわからないけどなんとなく察してください)。一方向の矢印が空気を貫いているわけでは決してなく、楽器と人間の鼓膜(もっと言えば心)は同時に共通の美的法則を感じあうのである。
 因果論は哲学の一大テーマであるが、原因と結果というやつは楽器と聴き手に似たところがないだろうか。たとえばスポーツでも何でもよいが、練習したから上達する、もっと上達したいから練習する。そこに因果の別は無く、ただ時間的な前後関係があるばかりである。われわれが何かに打ち込んでいるとき、しばしばその目的を忘れてしまうのは、未来の自分との共振そのものに深く満足を覚えているからではなかろうか。目的などどうでもよいのである。大切なのは今であり、また未来であり、それらを貫く心の震えである。
 日曜日のクラシックバレエの発表会。本番直前の緊張の中、舞台袖で、最終確認のためにと、踊りの振り付けを必死に思い出そうとしている子がいた。その子は突然、切羽詰ったように、「考えてたら、振り付けわからなくなってきた!」と、叫んだ。すると、たまたまその子の傍にいた、一緒に出演する先生がこう言った。
「あれだけ練習してきたんだから、曲がかかれば、身体が勝手に動く。考えすぎなくていい。」

 人の記憶には、「知識や思い出の記憶」と「技の記憶」の二種類があるという。知識や思い出の記憶というのは文字通り、何か学習したことや体験したことの記憶で、技の記憶は、スポーツや踊りなど、何度も繰り返し練習することで得られる記憶のことだ。これら二つの記憶は、作られる際に用いる脳の部位が異なり、その部位とは、前者が海馬、後者が大脳基底核と小脳である。

 記憶というと、海馬のイメージが強かったので、「知識や思い出の記憶」と「技の記憶」とで使用される脳の部位が異なるというのには、驚いた。しかし、同時に成程とも思った。特に頭で深く考えなくとも、身体が勝手に動くのは、「知識や思い出の記憶」ではなく、「技の記憶」を使用しているからで、冒頭に述べたような、突然振り付けが思い出せなくなるような現象は、普段、「技の記憶」によって身体を動かしているのに、本番直前になって「知識や思い出の記憶」によって振り付けを思い出そうとするからではないだろうかと。
 これらの考えは、ぱっと浮かんできたもので、何の証拠もない憶測でしかないが、私は妙に納得してしまった。
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新しい環境に慣れ始めた最近、ようやく名前と顔が一致するようになってきて急に自分の世界が広がったような気持ちになる。名前や顔を覚えるのはあまり得意な方ではないが、個性的な人というのは印象的ですぐに覚えてしまうものだ。

 

「個性的」という言葉には日本人よりは欧米人に特有のものである、という考えは一般的なものだろう。季節の変化に富み、稲作文化を形成してきたために所謂「和を以って尊しと成す」精神が、日本人の行動を支配的に規定しているのだとよく言われる。文化を吸収することに長けた日本は模倣性に優れていて、また集団的であることから「没個性的」であると言われている。

 

あらゆるものがアメリカナイズドされた今、他の誰とも違う独創的な自分の意見を直接的に他者へ伝えることをよしとする風潮はますます大きくなっている気がする。大学の授業も然りで、講義型とゼミナール型の授業の扱いからもそれは分かる。言語能力の活用だとか、機転だとか、論理性だとかは西洋的な方法で鍛えることができるだろう。

 

しかし、これは理性面でのお話だ。私たちが住むこの日本は、革命や戦争でホイと出来上がった国ではないし、昔から豊かな風土と共に歴史を重ねてきた土地だ。実際にわれわれの本質が上記のようなものであるなら、もちろん、われわれの感情にもっとも訴えかけるものはわれわれ流の自己表現によってであると私は考える。ダイレクトな表現や自分の意見を通そうとする人間の姿に、われわれ日本人は情緒を感じることができるかといえばそれは疑わしい。その方法は、その人間や国が作られてきた環境によるものだ。

 

「個性」というのは知性と情緒の融合で作りあげられる。そして両者が補完関係にあることは間違いないだろう。本当の「個性」とは何か、外見や印象だけに捉われないで、知性面も情緒の面に関しても、これから出会う多くの人の「個性」と触れ合っていきたい。

  今日、哲学入門という講座がありました。まあ正直、半分寝つつ話を聞いていたようないなかったような、そんな状態だったのですが。

  そこで、『…(略)…だから私は外界のことを何も知らないと言える』みたいな認識論ってのが紹介されていました。まあ要するに自分が今夢を見ているのではないと証明し得ないなら、外界は全部夢かも知れないんじゃんか、みたいな話だと思うんですが。
 
  …知らない、って、だったらどうなんですかね。
とりあえず私は、それだけ思いました。

  私は実際、科学だって人間によるゲームみたいなもので、ゲームの下における秩序や何やはそのレベルにおいてのみ真実だとは思っても、本当の本当の真実は分からない、客観視は出来ないと思っているから、"知らない"のを認めちゃっていることになる。

  けど、別に、だから何だって言うんだ、受け入れれば良いだけじゃんか、というのがそれに伴う感想。知らなくて良いんじゃん?少なくともその内我々土に還ることは確実じゃん?知ったところでどうなるの?
…そう思うわけです。

  本当の客観視はやっぱどう考えても無理だと思うし…反論って苦しくない?
  そこを最後まで疑いたいのは、知らないかも知れない事実が許せないからじゃないのかな?
とか思うよ。

…なあんて言ったら、理系の人に怒られるかしら。えへへ。笑

「ピッカピカの一年生」「フレッシュ」で思い出したが、英語では大学一年生のことをfreshmanと言う。ちなみに、二年生はsophomoreで、物知り顔といった程度の意味である。三年生はjuniorで、少し謙虚さが戻り、四年生でseniorとなって名実ともに成熟する。なかなかうまく言ったものだと思う。

さてそのfreshmanの私だが、初々しい気持ちで各講座の初回授業に臨んでいる。その中で特に心に残った講義があるので、この場を借りて報告したいと思う。

その日は一日中雨模様で、学生の活気も湿り気味であった。五限目になって私もずいぶん疲れていたが、以前から興味を持っていた数学史の授業ということで、少しばかりの期待があった。開始時刻から五分ほど遅れて老教授が姿を現した。三段式の黒い折り畳み傘を一回だけ無造作に畳んで、前に突き出すようにしながら講義室に入ってきた。禿頭、白髪、ざんばら髪という絵にかいたような「大学の先生」であった。

階段式の大きな部屋なのにも関わらず、教授はマイクを持たずに講義の概要を話し始めた。その上つぶやくような小声なものだから、後ろ寄りに座っていた私は、その日本語を聞き取ること自体に難儀した。概説が終わるとすぐ本題に入ったが、それでも声のトーンは変わらず、私は面食らったというよりそれを通り越して愉快になってきた。

もっと愉快だったのは板書である。まず、字が乱雑、かつ小さすぎて読めない。そして膨大な量を書き続ける。語尾や接続語もきっちり含んだ「文章」を綴るのである。教科書を使わない講義だが、まるで教科書を書き取っているような気分になった。教授は「話している」というよりむしろ「板書を読んでいる」といった風情で、ひたすら黒板に向かってつぶやいていた。

内容は「有史前、数の概念はどのように生まれたか」といったもので、たいへん興味深かった。しかし、そのあまりに淡白な進行と板書の多さに耐えきれなかったのだろうか、十人ほどが授業終了を待たずに途中退出した。私は意地でも我慢してやろうと思って黙々とノートを取り続けた。

 最後に教授は、「次週はエジプトの数学」と黒板に書きつけて、入ってきたときと同じように、折り畳み傘を前に突き出すような格好で出て行った。あとにはミミズの這った黒板と、学生の嘆息が残った。

 この授業にはぜひ半年間休むことなく出続けようと思う。終講時、私の手元には、手書きの数学史の概説書一冊と、「大学の先生」の授業を受けたという滑稽な達成感とが残るに違いない。
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