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作者名も題名もよく知られている有名な文学作品でも、実際に読んだことはなく、内容はよくわからない、ということはないだろうか。私にとって、そういった作品はいくつもあり、一度読んで見たいという気持ちもあったので、少し空いた時間などに、青空文庫を利用して作品を読んでいる。

青空文庫とは、著作権の消滅した作品と「自由に読んでもらって構わない」とされる作品を、無料で読むことのできるインターネット図書館のことだ。作品数はどうしても限られてしまうが、同じく無料で利用できる実際の図書館とは違って、わざわざ借りに行ったり返却しに行ったりする必要がないので、忙しくて時間がないときには、非常に楽である。また、青空文庫で作品が電子化されたことで、携帯電話を利用して作品を読めるサイトなどもできており、携帯電話を持っているだけで、いくつもの文庫本を持ち歩いているのと同じことになる。よって、鞄の中でも大して場所はとらないし、その場の気分で作品を選べるのも、なんだか嬉しい。

最近はパソコンではなく、主に携帯電話を利用して電車の中で作品を読むようになった。ついこの間も、ある作品を読み終わったところで、確かに作品の内容を楽しむことはできたのだが、読書後にいつも感じる、「読み終わった」という一種の爽快感のようなものがなく、なんだか物足りない気分になった。何故なのか、そのときはよくわからなかったが、今考えてみると、自分は、作品を読んではいても、「本」を読んでいるわけではなかったからではないかと思う。

実際に本を手にして、読んでいるときは、読み進めると同時に一枚一枚ページをめくる。本を閉じたとき、最初はしおりを挟んでいる部分までのページは少なく、薄っぺらいが、読み進めていくうちにその部分はどんどん分厚くなっていき、逆にしおりを挟んでいる部分以降が薄くなっていく。そうやって、視覚や触覚からも一冊の本がもうすぐ終わりを迎えることを感じることで、作品の結末に向かって高揚する気分が、より一層強くなるのだ。携帯電話でも読み進めると同時にページを送っていくわけだが、本と違い、自分が今その本をどこまで読んでいるかはわからず、作品の内容からなんとなく感じ取るだけだ。実際に「本」を読んでいるときよりも気分が高まらないのである。この気分の高揚の差が、読後の爽快感にも違いを生んでいるのではないだろうか。

私は、読書をするとき、ただ作品そのものだけを楽しんでいるのではなく、「本」を読むという作業も含めて作品を楽しんでいるのだと初めて気づいた。これからも青空文庫を通して作品を読んでいくつもりだが、気に入った作品があれば、実際に文庫本を買ってもう一度読んでみようかな、とも思う。

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