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孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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(昨日の続き)

 表面的な部分において違ってはいても、基本的なところでは多く共通しているということがある。このようなときには、やはり「違うのだ」はかえって邪魔で、不必要な意識であるとも言えるかもしれない。少しずれた話になってしまうが、自分がこれまで参加してきた話し合い、会議、テレビで見る討論などで意見が対立して両者が言い争ったりしているとき、よく話をきいてみると実は互いに思っていることはだいたい同じであるのではないかと思うことが多くあった。議論とはよくわからないものだ。
 さて、そもそも一種の常識であったはずの「違う」の認識であるが、少なくとも私の周りの様子からすれば、なんとも困った事態を引き起こしている。
 さきに、「違うのだ」は他人への過干渉を防ぐ性質もある、といったことを述べた。これは他者への寛容であり、軽蔑しない方が良いと考えるからだが、実際、最初に書いた「あの人とは違うから」は、正反対の結果をもたらしているようにみえる。一見「大人な」対処の言葉であるが、使いようによって、残酷とも思える効果をもっている。
 我々の生活のレベルから、世界の平和云々のレベルまで、いろいろな場面で、他者を理解すること、通じ合うことが求められ、求めようとする人がいる。そしてそれが達成されない困難がある。その困難を思い、そのような他者とのかかわりを避けて、自分の楽なふうにしかしない、という傾向が自分にはないだろうか。
 不躾な「違うから」をきくとき、「不可能とわかっていてもそれを追い求める、それが人間だ」、なんてことまでは言わずとも、せめて話くらいきいてくれ、と思う。私もちゃんと話すから。

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 話がかみ合わなかったり、相手の意見を理解できなかったりしたとき、「ま、私はあなたとは文化が違うから」とか「あの人とは考え方が違うのよねえ」などと言う人がいる。私はこれらの言葉がとても嫌である。今回は特別に2日続けて書かせていただくことにして、これらの言葉をスタートにごちゃごちゃならべてみたい。
 さて、上に挙げた言葉は他者とのかかわりにおいて一種のあきらめを示している。「違うのよねえ」の後には、大抵の場合何の進展もない。それどころか、相手を卑下するかのように、せせら笑いながら言われるのを何度も見聴きしてきた経験からすれば、これは他者との理解を深めるということとは正反対の行いであると思う。
 もともと、「文化の相違」を認めるか否かは重要な問題である。自分の(価値)基準(あるいは規範)に照らして、どのような物事にもそれに従って取り組むという人はあまりいない。もしそうすれば、他人との関係が破壊されることさえあるかもしれない。どちらの「文化」が優れているか、あるいは正しいか、ということはただちに判断されうることではないし(というより、相対主義の立場で言えば、判断するための客観的基準がない)、「違うのだ」ということを前提に議論が進められるのは至極妥当なことである。
 「違うのだ」という認識は自分にとって利益となる。すなわち、自分自身の価値観やなんらかの判断基準が絶対的であると考えるのは危険であるからだ。それに、他人(もっとひろげて社会とか民族のレベルで考えた方がわかりやすいかもしれない)の「文化」(とか慣習とか)に対して干渉的であることは争いを生みやすい。
 ところが、「違うのだ」が思わぬところで障害となっていることがある。
 何か。
 「ホントは違わないのかもしれない」というときである。

(明日へつづく)

私はいつも携帯で文章を打ち、心の友にその文章をアップしてもらっています。感謝です。いつもありがとう!
そんなこんなでみなさん、最近誰かに感謝したりありがとうの言葉を言ったりしていますか?
百貨店は感謝を形にしてもらうためにお歳暮競争をしていますし、郵便局は今年と来年の挨拶のために年賀状を出すよう促していますし・
・・。
感謝されるのって何だかくすぐったいけど、ちょっと嬉しいですよね?だからじゃんじゃん「ありがとう」の言葉をふりまいてください!

しかし、贈り物をされると何か返さないといけない気になりませんか?これ、返報性の原理と言って社会心理学で証明されている人の心の
仕組みなのです。
お歳暮だって年賀状だって、何だって贈り物で利益を上げる現場では、この心理を上手く利用しているのです。いわば戦術ですね。
有り難いという言葉は、めったにないという意味です。本当の感謝とは実に珍しいものです。感謝が先か、感謝のお返しが先か。
何だかどっちやねん的な文章になってしまいましたが、私は日頃の感謝を込めて大切な人にプレゼントを買いました!色んな意味を込めて
・・・笑
ではまた来週お会いしましょう☆

12月もちょうどまんなかまできましたね。もう今年もおしまいですか。
年末に感じることというと、私は、誕生日を迎えるとき以上に、自分が年をとったなぁと感じます。
この世に生まれてまだ20年に達しない自分ではありますが、ずいぶんと多くの出来事があり、またいろんな感情を抱いてきました。多分これからもまたたくさんのことを身につけそして忘れて、どんどん変わってゆくのだろう、と年の暮れに思う訳です。
こういうふうに考えていると、あるいは別な場面で認識することもありますが、人間ってなかなか重たいものですね。講演会などで「人生の先輩」方が話しておられるのをきいてその言葉に重みを感じるとき、それは多分その人がそれまで積み重ねてきた経験がもとにあるその人の言葉なんだなぁ、なんてことを感じることがあります。
僕が小学生のころにきいたことなので間違いがあるかもしれませんがこんな話もあります。
レストランに入ったピカソに、店主が、簡単な絵を描いてくれと頼んだ。サラッサラッと描いたピカソに「おいくらですか?」と尋ねると、法外な金額が返ってきた。「5分くらいで描いたくせにどうして…」と驚く店主に、ピカソは、「私はこの絵を描くのに40年かかった」と言ったという。
こんなふうに考えてよいのだな、と思わされます。こう言えるようになりたい。

ある人が存在しているだけで、実に様々なものがそこに共に有ることが感じられる、時々そういう瞬間があります。

対して、事件や事故があって、誰かが亡くなったというニュースを聞くことは、悲しいかな、少なくありません。ニュースが報道されるときに、しばしば違和を感じるのは、被害にあった方の命が反映されないからでしょうか。「○人死亡」という文字に、その人の「重み」のかげはありません。
先日起こった銃の乱射事件が、あるテレビ番組で取り上げられていましたが、出演者の発言はおよそ銃規制に関する意見で、それ自体悪いとは言いませんが、もし子供が死んでたらエライことでした、みたいな言葉が聞こえたり、締めくくりの言葉が、「考えていくべき問題ですね」だったりして、一体なんの意味があるのか、という気持ちになりました。

さて、残りの2週間、無事に過ごせるよう祈りつつ、来年はさらに重くなりたいと思います。来年のことを言うのはまだ少しはやいですがね。

 携帯電話で誰かに連絡する時を想像してみて下さい。夜になって、何か連絡があったり、しゃべりたくなったりしたときに誰かにちょっとメール。返ってきたら用件以外の話も加わって深夜に亘ってしまう、と言う経験、一度ならずある方は多いのではないでしょうか。

 

 この場合、「相手は何処にいるか」ということは連絡の前提として大きな問題です。何をしているか、も然り。ですが、気にかけつつも最後は考えないことが多いように思います。本来、気にしだしたら到底連絡など、出来なくなるはずですから。

 

 固定電話から携帯へ、手紙からメールへと移った際、いつでも連絡が取れることの裏にある相手の場所など「読めない」事柄の問題について、それほど深く考えられてこなかったのではないでしょうか。固定電話は家にあり、手紙はこちらが指定した場所に届きます。そういった前提が今は希薄です。

 

 模索の結果、苦肉の策がとられている、と言ったら誇張かもしれませんが、筆者が想像した範囲でも以下のことが言えます。(一応)自由に読んで送ってが出来ますが、すぐに返すのが「マナー」と言われること、「電話してもいいか」とメールで尋ねる人がいること、用件以外の会話がどんどん入り、電話なら一瞬で終わるような会話に何時間もかけること、同時に三人以上とメールで会話する人がいること(聖徳太子と命名)。これらには「読めない」ゆえに電話がしにくいことに対して、メールの(一応の)自由さで補っている節があると感じました。勿論、電話には「読めない」以上に拘束性が高いことが重要と言うのも分かっています。そういう観点から見たら側面の事柄になりますが。

 

 先日、親とこの関係が作れない、というような話の中で、家出した女性(娘)が、連絡の取り方がわからず、心配する母に対して「心配要らない。ケータイのある部屋が、私の部屋だから」と言ったと聞きました。もはや「読めない」部分を気にしなくなったと取れるこの一言。どうも他人事といえなくなっていきそうに思います。

 どうしてもはずせない所用があったのと、この冬の寒さととっている授業の退屈さがあいまって、この2日間あまり学校へ行かなかった。正確に言うと、1コマしか授業に出席しなかった。勉学を本分とする学生として不謹慎の極みである。(本当は8コマ出るべきだった) (しかしある教員曰く「私は、自分で勉強してくれさえすればこんなつまらない授業出てくれなくていいですよ」だそうである)
  ところで、学校へ行っていないと、クラスの友人達と会わないこともあってか、たとえそれが数日間であっても、ある種の不安な気持ちを催させる。これはどうしてだろうか。
  自分の生き方をするというのは、「ひとりになる」ということを含んでいると思う。これに対して学校へ行っているうちは、どんな自由な学校であってもそれなりの`レール'があって、それに甘んじてしまうことがある。私などその好例だと思う。上に書いた教員の言っていたことのように、自分の好きなように、自由な暮らしというのを求めて日々過ごすのは、私のように甘やかされた人間にとってはかえってこわいことなのだろうと思うのだ。
  私はこの前こんな言葉をきいた。
 「偶有性の海にとびこめ」
  これをきくと、私の好奇心など嘘っぱちだなと思う。
  これから先、私はやはり何かに所属することだろう。そのとき、レールが終着点に達したときにうろたえないために、私は何か一つでも、「自分の好奇心」を持っていなくてはならないと思う。
  2日間授業をサボって見えてきたのは、着飾った紛い物の自分ではなく、何一つまとっていない自分自身の姿だった。

クラシックバレエを始めてから、もう15年ほど経つ。始めたきっかけは何だったろう。あの華やかな雰囲気に憧れたからなのか、あのひらひらとしたドレスのような衣装を着てみたかったからなのか。あるいは、母曰く、その頃ちょうど『うさぎのくれたバレエシューズ』という絵本を読んでいたそうなので、その影響を受けたからかもしれないし、たまたま、自分の通う幼稚園でバレエ教室が開かれるようになったからかもしれない。今ではもう、きっかけなどはっきりとは思い出せないが、気づけば、バレエをしていることが日常の一部であり、当たり前のこととなっていた。

クラシックバレエの舞台は、本当に華やかなものである。色とりどりの衣装を着た人たちが、それぞれの踊りを通して、与えられた役を自分なりに表現していく。時に難易度の高い振りを見事にこなして観客を沸かせる。舞台を見ている間は、時間の流れも忘れて、その世界に惹き込まれてしまう。しかし、その華やかな舞台から一歩外に出ると、全く違う一面が存在する。舞台上では軽々と華やかに踊っているバレリーナが舞台袖に入った途端、膝に手をついて、ぜいぜい喘ぐのもよくあることだ。

私はクラシックバレエを今までずっと続けてきたが、「何故続けているんだろう」と疑問に思ったことは何回もあった。腹筋や背筋加え、普段鍛えないような部分の筋肉も使って踊るのは、ただ身体を動かすよりもよっぽどしんどいし、踊るには、筋力だけでなく柔軟性も必要で、それらを得ようとするのもまたしんどい。クラシックバレエにはやはり身体の向き不向きがあって、自分は決して向いているほうではないし、何かが秀でているわけでもない。さらに、バレエは自分の身体を使って見せるものであるにも関わらず、正直なところ、私は人に見られることは寧ろ嫌いであり、目立つのは避けたいとも思っているのである。

こう考えていくと、何故続けているのか、と自分でもますます疑問に思えたりもするのだが、結局のところ、自分がバレエを続ける理由は、バレエが「好き」であるというシンプルなものなのだと思う。上記のようなことがあって、悶々と悩むこともよくあるが、やはり「好き」だから続けたいと思うのである。

小さい頃は、身体がバレエ向きの周りの子達が次々にバレエをやめていくのを見て不思議に思っていたが、物事を続けるためには、その事に関する自分の向き不向きよりも(勿論向いている方が良いとは思うが)、まずその物事を「好き」だという強い気持ちが必要なのだと考えると納得がいく気がする。人間が、何か物事を持続する原動力は、その物事に対する「好き」だという思いにあるのかもしれない。

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