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二月は逃げる。逃げる。逃げてゆく。
僕らは追う。追うほどに二月は逃げてゆく。
そこにあるはずの新芽を。それを覆い隠す雪の融けるのを。僕らは待っている。
しかし、融けるかと思ったころ、雪はまた降ってくる。
そのもどかしさを僕らは、
「三寒四温」などと名前を付けて時間をつぶしている。
来るべき春へ。塗り替えられる新しい生活へ。僕らは備えている。
しかし、備えれば備えるほど、二月は無為に流れてゆく。
追うのに疲れた僕らは、
「結局やってみるまでは分からない」などと嘯いている。
二月は逃げる。逃げる。逃げてゆく。
僕らは追うのをやめてみた。二月はそれでも逃げていった。
手に入れた後で手に入れたことを後悔するものは色々あるが、その中でも特にひどいのは人形である。何故ならそれをやがて処分する際に最も悩み、躊躇い、決断しなければならないからである。
他のものと違い人形に生命と等しきものを感じるのは、私だけではないと思う。あるのはただのモノなのに、誰かと一緒にいるような感覚がしてしまう。人形からこちらに話しかけてくることはないし私も人形に話しかけることはしないが、ずっと見られている気持ちがする。
人形の眼に注目してみると、大体の人形の眼は他の部分とは違う特別な素材でできていることに気付いた。眼は人形の特に強調される部分であるらしい。ということは眼が人形の存在感の源なのかもしれない。カラスだって大きな目玉模様を恐れて近寄らない。他者の存在を感じるというのは本質的には、自分が他者に見られていると思うことよりも眼がそこにあると思うこと、なのかもしれない。
「人形」は「人」の「形」と書くが言葉ができた当時はともかく今では別に人形の全てが人の形をしているわけではない。しかし何故か人の形ならざるものでも人らしい存在感をもっている。そんな風に思うと一層人形を処分するのは気が咎める。そして部屋に置いて放っておくのも居たたまれず、ちょっと構ってやらねばならないかと気を遣う。そんなわけで人形は非常に手のかかるものなのである。
「~の時代」という表現を聞くシーズンになりました。式典が多い季節ですが、そういった時の祝辞とかでよく使われます。曰く、若者の時代。個性の時代。没個性の時代。国際化の時代。競争の時代。優しさの時代。無関心の時代。若者の心が荒れる時代。日本が駄目になった時代。サブカルチャーの時代。デスメタルの時代。ロリータファッションの時代。
こういった時代とはいったい何なんでしょうか。英語のera、またはperiod。その時期の流行りのものをそう呼ぶ感じでしょうか。何しろ何にでも時代をつけることができます。そして怖いのはそのどれもが人々に信憑性をもって迎えられることです。さっきあげた例にわざと「個性の時代」「没個性の時代」と相反するものを入れておきましたが、両方が何かしら語られるものです。特徴は両方に冠詞のごとく「最近の若者は」というのがつくことですが。
時代というのが思ってるほど短期で変わるものではないのだと思います。そりゃあ政権組織が転換したり生活様式が変わったりしたらそりゃあ時代も変わったな、というところですけれども。ここ10年の変化が激しいからと言って、それが江戸幕府が転覆したのと同じ規模の変革だったと言い切ることは無理ですし、ナンセンスなことでもあります。その中でではいったい何が時代として使われているか。要するに全部です。見ようによってどうとでも見られるわけです。インターネットの時代、パソコンで文章を書く時代、匿名の時代、対多数コミュニケーションの時代…このデイリー孝太郎でぱっと思いついたものを列挙してもこう言えます。そして、どれもが言われているであろうことです。
「~の時代」はそういう意味で、単なる誇張表現以上のものではないと考えます。悪いことにその他の誇張よりもよく使われて、よく信じ込まれるものとも感じます。こういった表現を好んで使う演説はどうも信用できません。彼が一体その現象を「時代の寵児」に仕立て上げる理由は何なのか。勘ぐってしまいます。誇張表現がまかり通る時代だからこそ、広い視野を持ちたいものです。こうやって「時代」を使ってみたら、ほら違和感が無い。この気づきは相手のフォーカスしたものに批判を向ける一歩になりえるかと感じます。
関西には私鉄が大変多く、JRを使わずとも大体の場所には行ける。それに私は幼少の頃より私鉄沿線に住み、親戚の家も私鉄の範囲内、家族で旅行に行くにも大体自家用車。高校以前でJRに乗ったことが、あったにはあったのだろうが、記憶は全くない。
大学生になってから、まぁいろいろと用事があってJRに乗らないと行けないような場所に行くことも増えたが、何だかどうも居心地が悪く、出来ればJRでの移動は避けたいと思うようになった。
本数が少ない、遅延が多い、揺れが激しい、など負の要素はいくつか考えられるが、その程度なら各私鉄も一長一短。それらを超えた圧倒的なJR嫌いの原因が漠然と私の中にある。
JRの車両に乗り込む。たくさんの人が思い思いの恰好、仕草をしている。だが、その思い思いな様子が何故か画一化された、没個性化した「凡日本人」といった印象を私に与える。盆と正月にテレビを付けると帰省ラッシュの様子が映し出されるがあれに登場する人混みの印象、テレビの中の人といった感じがJRの人びとにはあるのだ。この狭い島国でマスコミに唆されてせこせこ生きている日本人。私はきっとそんな日本人(のイメージ)が大嫌いなのだろう。
一方で、このJRに対する嫌悪は、少数派が多数派に対して抱く疎外感でもある。私だって多分、マスコミの言いなりのつまらない日本人の一人。自らの共同体に対する違和感と親和感の微妙な葛藤をJRは体現しているのである。
わたしたちの日常生活において「死者」はどれほど身近な存在なのだろうか。
メキシコには「死者の日」がある。日本でいうならばお盆にちかいもので、年に1度死者が我々のもとへと帰ってくる日である。しかし、それは日本のようにしめやかに執り行われる行事ではない。これはメキシコの先住民の民俗信仰とスペインのカトリック信仰の融合した文化なのだが、彼らはこの「死者の日」には色鮮やかな花で墓を飾り立て、墓地でわいわいと食事をとるのだ。我々の文化からは考えられないが、帰ってきた死者との語らいを楽しむ陽気さと、その裏に秘められた別れの寂しさにはなんともいえないものがある。
決して死を肯定しているわけではないが、死という概念が身近にあることは今この時代に必要なのではないか。人は死んだらどこに行くのかだとか、死んだおじいちゃんが見ているだとか、心から思うのはなんだか禁忌なようで、けれど思わないことも禁忌なようで、私たちはそういった話題から無意識のうちに離れようとしてはいないか。死をただの物質の消滅と考えるもよし。けれど、そう考えることもまだまだ我々には怖い。ぐにゃぐにゃした信仰心を携えて、いざ自分の死に直面すれば泣き崩れるしかないなんて、長い人生の最後をそんな風には飾りたくない。
命の終わりを認めよう。そして、その日には笑っていたい。
この「デイリー孝太郎」にも命がある。私たちはそこに命を吹き込みたかった。彼の命はいつまでつづくのだろう、彼の人生をどういう風に飾ろうか。生と死は表裏一体だ、彼が死んでも墓場で一緒にお酒を飲もう。そして、次に来るべき生を心待ちにするのだ。
〈伍〉『孝太郎』の将来
今後の『孝太郎』はどうあるべきか。我々は過去を教訓とし、一切の妥協なく検討を進めなければならない。選択肢は複数ありうるが、いかなる道をとるにしても、その道が『孝太郎』に現状打破とこれまで以上の発展をもたらすものでなければ意味はない。仮にも惰性だけで存続するならば、むしろ廃刊を決断するべきではないかと私はそう考えている。
もちろん私は『孝太郎』誕生に大きく関わった人間の一人だから、簡単に〈孝太郎〉をこの世から消し去ることは避けたいと、一方で思っている。現状を大きく変え、新たな表現の場として再出発させることが最善の道ではないだろうか。そのために考察すべき点がいくつかある。以下においてはそれらを順に挙げてゆくが、ここでは各事項に対するごく具体的な話というよりも、私の考えるある程度の方向性を示すにとどめる。具体的な詳細事項は編集委員同士の話し合いによって決定されるべきであるし、『孝太郎』の運営は最終的に編集長の意向によるものであって、一委員である私がこまごまとした提言をこの場で持ち出すことは適当ではないからである。
まず考えなければならないのは、「デイリー孝太郎」の存在である。これまで見てきたように、「デイリー」にはさまざまな難点があり、『孝太郎』の活動を停滞させる原因ともなってきた。ブログを利用するという発想はすばらしいし、担当者も精一杯努力をしてきた。しかしやはり、〈ことば〉の壁、すなわち「誰が、誰に、何のために発するのか」という問題に悩み続け、不完全燃焼から脱却することができなかった。我々は、何らかの方法で、この現状を断ち切る必要があると思う。「デイリー孝太郎」そのものを終了した方がよいのか、名前はそのままに内容を一新した方がよいのか、別の取り組みに移行すべきなのか、それはこれから考えていかなければならないだろう。とにかく現段階で必要なのは、「デイリー孝太郎」の性質を『孝太郎』元来の理念に照らし合わせ、一から検討し直すことである。「デイリー」の難点が解消されることで、担当者も週1回の義務感から解放され、時間と思考の幅を他の表現活動に向けることができるようになる。文芸誌『孝太郎』に向けられるエネルギーは、そのうちのごく一部でもかまわない。空虚な十よりも濃密な一を、我々は望むべきである。
もう一つ再検討が必要だと私が考える点は、読者の幅をどのように想定するかということである。『孝太郎』がオンライン化されて以降、特に「デイリー孝太郎」の連載に関して言えることであるが、我々は〈一般的読者〉すなわち全世界の不特定多数の人々を意識しすぎたのではないだろうか。誰が読んでもあたりさわりのないよう気を配るよりは、『孝太郎』の読者は所詮限られていると割り切って書いたほうが、具体的で率直な表現が可能になるのではないかと思う。「デイリー孝太郎」はブログというシステムを利用しているが、その性質は一般的なブログとはかなり違っている。ごくプライベートなことを思いつくままに書くのではなく、ある程度推敲を重ねた思索的な文章が要求される。これは、「デイリー」だけでなく、『孝太郎』の営み全体を通じて言えることである。文章を書くときには、〈読み手への配慮〉と〈書き手の納得〉がともに必要であることは言うまでもないが、こうした思索的文章に関しては、前者よりもむしろ後者の点が重要なのではないかと私は考えている。必要以上に全世界の一般的読者を意識すると文章が委縮するおそれがあり、したがって『孝太郎』に寄せられる文章については、オンライン上であっても、書き手が自ら納得できる表現を奨励すべきなのである。
そしてこの点が私の最大の主張なのだが、私は『孝太郎』を、我々の〈学生運動〉の一環にすべきであると考えている。〈学生運動〉と言っても、40年前のような、ゲバ棒をふりまわして催涙弾を浴びる類のものを指すのではない。あれは〈学生運動〉の極端な一例に過ぎない。〈学生運動〉とは、大学生による表現運動である。私は、大学というのは、好きなことを好きなだけ学ぶ場であると同時に、好きなことを好きなだけ表現する場でもあると思う。かつては高校の同級生であった『孝太郎』の編集委員は、今や全員が大学生である。学生である限り、我々は学生運動をしなければならない。学問の世界の最先端に身を置く以上、その中で目いっぱい駆け巡り、さまざまなものを吸い込むと同時に吐き出し、あたりをひっかきまわさなければならない。
その表現媒体として、『孝太郎』は可能性を秘めている。多様な考えを持つ学生たちが堂々と持論をぶつけ合い、切磋琢磨する。そのような場になることができれば、〈孝太郎〉自身も、その理念をかなえたことになるのではなかろうか。
我々は大学において、それぞれ学部に所属し、専門的な知識を学びつつある。そうした知識の中には、専門書によって誰でも簡単に接続できるものも多いが、他学部の人間には接続困難なものもある。特に最先端の〈生煮え〉〈半熟〉〈未完成〉な知識は、教官にごく近い人間しか知らないことが多い。『孝太郎』が、文芸を超え、そうした学問・思想の鍛錬の場になることを私はかすかに望んでいる。〈学際〉ということが声高に叫ばれているけれど、組織同士が組織的に連携するだけでは、機動性もなくたいした成果は望めない。意味のある〈学際〉は、数人の親しい交流の中からまずは生まれてくるものだと思う。我々編集委員と投稿者が〈学際的学生運動〉を展開し、『孝太郎』が〈学際誌〉へと変貌することこそ、我々と〈孝太郎〉にとって最も価値のある変革ではなかろうか。私はそのように考えている。
(革島秋遷)
というのも私にもゲーム脳的な体験があるからである。ある時自分の身に危険が及ぶ可能性があるのを実感したのだが、何となく大丈夫だと妙に落ち着いていた。実際危険が及んだとしてもリセットしてどこかでもとの状態でやり直せるだろうと思ったのである。しかしさすがに自分がそう思っているゆえに落ち着いていることに気付くと、却って空恐しくなった。一番恐しいのは自然にそう思っていことである。当時もゲームは好きだったので影響があったことは間違いない。あまりゲームに影響されすぎると、現実のリスクをまるで無視する行動を平気でとってしまう可能性があるのである。
またもうひとつに、ゲームは基本的に生々しい表現は避けられるものである。剣で怪物を斬っても精々血液が噴き出る描写があるだけで、傷口まで再現されるようなものはあまりない。敵を倒してもぼろぼろな死骸・臭いが残ることもない。大体死骸は綺麗なグラフィックと共に消滅したり、急に消えてしまうものである。こうしたごくあっさりした表現は現実の生々しさ、醜い部分を覆い隠している。これに慣れてしまうと、現実を見たときのショックが過剰なものとなってしまい、妙なトラウマを引き起こしかねない。といってゲームでそれを再現しろと言うわけではない。ただそれなりの配慮は必要である。
色々挙げたがゲームをする一番の弊害はゲームのことしか考えなくなってしまうことである。休みに入り持て余す時間の多い私もそうなりがちである。できるだけ外に出ようと思う。