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先週は風邪をひいて寝込んでしまって、原稿を書くことができなかった。編集部に大変迷惑をかけてしまって申し訳ない。もし(万が一にも)月曜日の記事を楽しみにしていただいている読者の方がいらっしゃったなら、その方にも残念な思いをさせたかもしれない。
誰の言葉だったか思い出せなくて歯がゆいが、むかし次のような金言に出会ったことがある。
“風邪をひいても世界観は変わる。世界観とは風邪のようなものだ。”
健康な時でも「なるほど」と思うが、実際風邪をひくといっそう「なるほど、なるほど」と実感がわく。まず、周囲の環境に対する感じ方ががらりとかわる。布団はいつもよりあつぼったく感じられるし、金属製品は「ひんやり」を通り越して「ぞくぞく」した冷たさしか与えなくなる。味覚も嗅覚も鈍くなり、食事を十分に楽しむことができなくなる。
さらに、意欲や思考にも影響は及ぶ。少しくらいは勉強をしようかと思っても、瞬く間に集中力が切れる。仕方がないので本を読んだが、こちらも読み進めはするものの内容の理解はいまいち浅い気がする。しまいに投げやりになって、ラジオを聞き流しながら、布団の中で一日中じっとしていた。
医者にもらった薬がよく効いて、2日ほどで完治したが、もしこれが、例えば2週間続いていたらどうだろうか。世界観はさらに大きくかわっていくだろう。あるいは世界観が変化したまま定着していくだろう。2ヵ月だったらどうだろうか。2年ならどうか。そうなったら、もうそれは世界観の「不可逆的な」変化と言えはしないだろうか。「風邪っぴきの世界観」が「ふつう」になってしまって、発症から2年と1日目に突然風邪が治ったとしたら、逆に「風邪をひいたような」変な感覚に襲われるかもしれない。
「世界観とは風邪のようなものだ」という言葉を文字通り受け取る必要はないが、我々が平常時にほとんど無意識的に受け入れている世界観は、実は大して当てにならない、ちょっとしたきっかけですぐに揺らぐものなのだということは、ときどき思い出すとよいだろう――せめて風邪をひいたときくらいは。
まず、母語である日本語で実験が行われた。4個のうちは、まだ簡単だと思えたが、7個を過ぎたあたりから段々と苦しくなってきて、12個にもなると、正直もう何が何だかわからなくなってくる。英語の場合は、尚更で、今度は単純に数字が覚えられなくなるだけでなく、数字の個数が増えて「two five three nine six …」と連続で読み上げられるうちに、頭にぱっと数字が思い浮かばなくなったりする。
これらのことから考えて、実験結果は日本語>英語>第二ヶ国語の順に悪くなるだろう、と思っていたのだが(実際、講義内での平均値は予想通りになったのだが)、自分の結果は違った。なんと第二ヶ国語の結果が一番良かったのだ。まだ勉強し始めてから1年程度しか経っていないのに、何故、第二ヶ国語の結果が一番良かったのか。それは数字を記憶するときの方法の違いが理由だと考えられる。
私は日本語と、英語のときは、数字を一つずつ順に覚えようとしていた。しかしこの方法だと、数字の個数が増えてきたとき、最初の方の数字を忘れたり、最初と最後の方の数字は思い出せても、中間部の数字が抜けてしまったりしていた。そこで、第二ヶ国語のときは、個数が増えてきたら、一つずつ順に覚えるのではなく、数字の塊毎に覚えるようにした。例えば、8個の数字が読み上げられるときは、前半4個と後半4個の2つの数字の塊として覚えるといった具合である。こうすることで、1つずつ覚えるよりも、数字を覚えやすくなったのだ。
実験の後、人間の短期記憶の容量の限界は7±2チャンクであることを学んだ。ここでいうチャンクとは情報の単位で、見た目のまとまりや、意味的なまとまりのことである。
私が実験の際に数字を塊として捉えることで、数字を覚えやすくなったのは、このチャンクが関係しているのだろう。自分が実際にやったことと学んだことの間に繋がりを感じた瞬間だった。
毎週水曜に受けている講義に、教員が騒音アレルギーレベルで私語を嫌う、というものがあります。全くの静寂になるまで授業は始めず、授業中も私語が聞こえると中断、叱責。そしてその度に「ああまた授業が中断した」と言います。
そんな教員の一言、授業が終わり、レポートを書くという動作に移った際ざわつき、その時「喋っていいとは言っていないでしょ!」。
授業において、私語が犯罪級に検挙されるのは、「教員及び聴講者の学習を阻害する」というのが一般的でしょうか。しかし、不思議なことに私語を検挙する人は何故か少数派のはずの教員が圧倒的多数です。実際聞こえないなら聞いてるほうもそれなりに注意したりしてるはずですが。教員って気が散りやすいんでしょうか。しかも、レポート書いてるときまで。そのレポートが資料参考大いにOKだったので、カンニング防止とも思えませんでした。
話変わって、車の後部座席に座る人にもシートベルト着用義務が課せられましたね。国民三大義務(これについてもいろいろ意見が)に加えて、「自分の身体を守る義務」というところでしょうか。そのうち家に鍵をかける義務とかも出てくるのではないかと期待しています。
自分のことは自分で判断して、行動してるでしょうに、というのが以上二つの共通の感想です。もちろん、いつでも出来てるわけではなく、それゆえにたまには戒めとして「自立自律しろ」と考えたり言われたりするわけですが。己の感受性以外にも自分で守らないとなくなるものは多そうです。決めたり統べたりすると何かずれるよね、ってのももう一つの感想です。
そういう傾向もあるかもしれない。しかしこの「0か1か」の解釈は、私の抱くデジタル技術へのイメージと若干ずれている。
「0か1か」を百分率に直せば「0%か100%か」となるわけだが、それでは、その中間の50%のところはデジタルは相手にできないのかというと、「110010」と二進法でしっかり表せるのである。それよりももっと微妙な42.8352%何ていうようなものだって、0と1の組み合わせだけで表現できるし、有限の立場を取ったとしても有理数ならどんなものでも表現できる。情報量を増やせばどこまでも細かく分割していけるわけである。
私が問題にしたいのは「0でも1でもないもの」というよりは、「0でも1でも"ある"もの」である。「好きでも嫌いでもない人」というのはどうでもいい。分割によっては表せない情報、「好きだけど嫌い!」というこの人間の感情をどう表現するのか、「毎日の生活は楽しいけれどどこか寂しい」といった感覚をどう表現するのかが問題である。
量子論的な世界観にも近いのではなかろうか。実験観察をした途端、言葉にした途端、情報として表した途端に、0か1かとして現れてしまうもの。数直線の外にある、この捉えどころのないものをどう表現し伝え合うのか。これはデジタル社会固有のものでもあるまい。人間が言葉を獲得した瞬間から苛まれている問題であるはずだ。
追憶の線引き
私の趣味は過去の思い出に浸ることだ。と、言ってもいいくらいに自分の日記やアルバムを見返すことが好きである。何時間も何度も見返すのだ。そうして浪費した時間と行為の不毛さを目の当たりにして、その追憶の行事は幕を閉じる・・・というのがいつものパターンである。
今よりもっと拙い文章、住む世界の狭さ、あどけない表情・・・過去の私はまるで私でないみたいだ。一方で、その日記を書いたときの自分の思い、その写真を撮ったときの自分の気持ち多くの共感とともに、今もありありと蘇ってくる。
思えば、いつからが過去の自分で、いつからが現在の自分なのだろう。時間の流れに沿って刻々と自分は更新されてゆくので、現在の自分は「今このとき」の一瞬の存在でしかない。これが厳密には(そして一般的には)過去と現在の区別だろう。しかし、私はここではそんな細かいことを言っているのではない。「あの頃は子供だったなぁ。今ならばそんな事はしないのに。」と、当時の自分を振り返る時が多くの人にはあるだろう。そういうような、今現在の自分の行動パターンや思考パターンと、大きくかけはなれた「過去の自分」のことを言っている。
日記を何度も読むといったが、おそらく読むたびごとに私の捉え方も多くの変化を遂げているのだろう。日記を書いた「過去の自分」を、より「現在の自分」に近くなるように解釈しているのかもしれないし、逆に「現在」との差異を見出すように解釈しているのかもしれない。
いずれにせよ追憶によって「過去の自分」を捉えなおすことは建設的とまでは言えないが、少なくとも無意味ではないだろう。歩んできた歴史を振り返り、過ちを犯さぬよう対策を考えるように、「未来の自分」に何かしらの導を与えてくれるものであればいいのだが。
そんな希望を抱きながら(半ば慰めとも言えるかもしれない)、私は追憶の喜びに浸って毎日をすごしている。
大地の恵みであるのは分かっているけれども、それでも私は雨が嫌いだ。・・・いや、というより、人工の街に雨が降る様が、嫌いだ、と言ったほうが正しい気がする。
何故だろう、冷たい灰色のコンクリートの色が、びしゃびしゃとこれまた灰色の空から降る雨によって更に色を失っていくのをみるのは、街が喪服を着ているようで、何とも言えずうすら寒い気持ちになる。それが連続で展開されるというのだから、梅雨は私の天敵ともいえるだろう。
さてまた、6月はジューンブライドとか言ってこの月に結婚すれば幸せになれるという月でもある。日本国民、横文字を投入されたは良いが、けれどしかしここは日本。梅雨を忘れてもらっちゃあ、困る。濡れるよタキシード。水吸うよウエディングドレス。どうして雨の降る確率が高いこの時期に、あえて挙式したいと思うのだ ろう。ジューンの語源で結婚の神であるユノを奉るより、それなら日本式に伊邪那岐命とかを奉ったら良いじゃないか。・・・・と思ったら、あ、そうか、楽しみがない。伊邪那岐命じゃ、暦の上の「結婚すれば幸せになれる期間」を楽しめない。やっぱり何だかんだ言って、ひとまず縁起は担いでおきたい、そんな日本人の性に、 「ジューンブライド」は聞き捨てならない言葉であり、「いざなぎ新婦」の出る幕はなかったということなのであろう。
だが、因みに私は縁起を担がない人であり、やはり6月結婚に魅力は感じない、残念なことに。
先日読んだ新聞記事からの話です。昨年,酷暑となりながら,稲の収穫の規模は「平年並み」か「やや不良」程度で,かつ8割以上が問題を抱えるという予想と裏腹に,1割程度との報告しか来なかった,というものです。
稲はこれまで冷害,風害,虫害,病気については深刻に討議され,改良を重ねられてきました。小学校で「バケツ稲作り」をやった人はもしかしたら覚えているかも分かりませんが,コシヒカリも,収穫量が高くなるよう,風害に強くなるよう作られ,さらに稲熱病に対応したものが作られ,などというようにどんどん改良されたのですが,猛暑に対してはあまり研究がされてこなかったようです。それ故,深刻な影響が去年は懸念されていました。筆者の実家でも,今育てている品種はもう数年で終わり,マンゴーの生産にシフトしようかと議論しておりました。嘘です。後半は。
そんな中の調査結果です。まだ分からないところが多いとはいえ,驚きました。稲といったらそれこそ手間ひまかかる,管理してなんぼの作物と思っていました。台風が来れば倒れないように,雨が降らなけりゃ乾かないように,逆に降りすぎたら腐らないように,寒くなったら凍えないように,虫がついたら食われないように,いろんな手立てを尽くして,そうして秋をやれやれと迎える,みたいな印象だったのです。それが,あの酷暑に耐えた,と。