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そして今日は、礼を言わない人と出会いました。店の中をぶらぶらしているとお客さんが探している品物の場所を尋ねてくることがよく
あります。ちゃんと教えることができたなら大体のお客さんは「ありがとう」と言ってくれます。中にはちゃんと答えることができなくてもそう言ってくれる人もいます。
しかし今日出会った人は、お探しの品物の場所を教えたのですがお礼は言ってくれませんでした。そんなことは初めてで、私は少し驚きました。驚いたというのは相手に対してだけでなく、お礼を言われずかなりがっかりした自分に対してでした。お礼は当たり前のように返ってくるものと思っていたからかな、とその時は思いました。
そしてそのしばらく後、またあるお客さんに品物の場所を尋ねられました。そのお客さんは変な人で、お探しの品物が下の階にあると言うと、何故か「下の階って…ヒヒッ」と笑い出すのです。その場所まで案内すると言ったときもやはりヒヒッと笑っています。正直うっとうしい。私はにこやかに応対しながらも振り向いて鬼の顔をしておりました。
ところが、案内し終えたときその人に「あっ、ありがとうね」と言われると、不思議とイライラがスッと消えてしまいました。そんなに大袈裟に感謝されたわけでもないのですが…。
普段ありがとうと言われてもそれほど感ずるものはないのですが、急に妙な力を持ちだしました。ではアルバイトの身分が関係しているのでしょうか。今までより社会に近い身分となったがゆえの緊張を知らぬ間に感じていて、そしてありがとうという言葉に知らぬ間に癒されていたのでしょうか?バイト中でも欠伸するのに。
まぁありがとうという言葉が急に有り難みのあるものになるというのはよくある話で、私もご多分に漏れぬ経験をしただけなのですが、なかなか不思議な言葉なんだなぁと実感したのでした。
教師の業界用語に「発問」というものがあります。質問は,「分からない」人が「分かる」人に対して問いただすことをさしますが,発問は教師の側が教える人々に対して行う,「分かる」側が「分からない」側を問いただすことです。まあ,皆さん覚えはあるかと思います。「これはどうなっているのかな?」ってやつです。
子どもがどうすれば興味を引かれ,授業に積極的に参加してくれるかが大きく変動するとも言われます。例えば,バスの運転手の仕事がどのようなものかを学習する時に,「バスの運転手の仕事はなんですか?」よりも「バスの運転手は何処に気をつけて運転していますか?」のほうが参加しやすく,さらに「バスの運転手はどこを確認しながら運転していますか?」と訊くと答えの数もぐっと多くなる,などという話を聞きました。
嫌みな見方をすれば「ヤラセ」ですね。誘導の問いかけとも言えます。バスの運転手は「バスを運転すること」が仕事というだけでは満足ではなく,必ず安全だとか,時間通りの運行だとか,そういったことも気をつけていて,場合によれば改善点すらも発見してしまうくらいまで子どもは自発的に考え付くことが求められているわけです。観客である子どもをその辺の感動的な答えに導くために役者は奮闘するわけです。ダイレクトで浅いものは大根役者となるわけです。教師とは,役者である。
私たちはそこまで感覚が暇ではありません。バスの運転手の仕事が何かよりも効率の良い仕事が何かのほうが興味があります。拡大すると,世界の貧困層の問題よりも自分の今日の空腹を満たす食べ物が問題だったりします。それ自体は全く自然なことです。言われただけでは動けないことも無理ないことです。それゆえ,本当に気づいて欲しいことには教師でなくとも発問しなければいけないわけです。役者になって,観客がウケて感動的な答えに近づいて欲しい時も出てくるわけです。そして,不断の発問が必要になります。自発でなければリアリティも乏しくなりますから。
あらゆる大問題は全て発問の形が求められている,というのは誇張でしょうか。教師の業界ゆえ,「教える」ことが発問の目的とみなされても不思議ではないですが,「自発的なところへ導く」ことを目的と捉えると,案外持っとくと便利な発想かもしれないですね。ただ,発問は自分がある程度その分野に長けていることが必要なので,その段階に達することと,達した後素人に分かるよう話す,など問題は多く難しいのですが。
単に「掃除」というと、雑巾掛けであるとか箒で掃くであるとか、昔小学校でやっていたような、或いは寺の小坊主などがやっていそうなイメージが浮かぶのだが、そうすると最近私が行っている私の部屋の掃除というのは掃除と呼ぶには少し不相応な気がする。例えばそこいらに散乱しているもの、モノ、物をもと合った筈の場所へと返す。場所というのは本棚であったりCDラックであったり机の引き出しであったり、はたまたテレビ受像器の上であったりして、そんな作業を繰り返すうちに、このモノはこの場所で良いのか、とか、ここを空けるとこっちの物がいっぱい入る、とかそんなところで部屋中の本やら何やらを引っ張り出して、果ては模様替えに発展したりする。そんな営為を「掃除」と呼んだりしている。
在庫管理と呼ぶべきかもしれないそんな作業をしていると、いくつかの法則を意識するようになる。
法則1:同種の物は集める
基本中の基本であるが、それだけに大切である。本であれば文庫、新書などのサイズ別で分ければ見やすいし、収納効率がよい。また同じサイズであっても、例えば音楽CDとゲームソフトなど種類の違う物は分けておけばどこに何があるかわかりやすい、というのは当然である。図書館の十進法などと同じ精神である。
法則2:よく使うものは手に取りやすい位置に
例えば調べ物によく使う本は机の近くに置いておけばいいし、使用価値がゼロで偶に見て思い出に浸るためだけに存在しているようなブツは一番下の引き出しの奥にしまえばいい。図書館の喩えを借りれば、図書館の本は公共のものなのでよく使うも何もなく、せいぜい新着図書を入り口近くに置いておくぐらいなものであるのに対して、自分の部屋は自分のニーズのみに従ってカスタマイズすればよいので、自分と鋭く向き合うことになる。それが楽しい。
以上の法則はあくまで原則であり、実際に整理をし出すと、収納スペースの形状が法則に合わないこと、法則1と2が噛み合わないことなどもざらである。だからこそこの作業は人間味があって面白い。生きることそのものですらあるのではないかと思わされるものである。
さて。お休み前までは、私は「である」調で文章を書いていました。今まで、私の中には、どうも「である」調で書かなければ「ならない」という、勝手な縛りがあったように思うのです。ですが、ちょっと考えてみれば、文体というのも一つの表現の仕方です。文体によって、同じ内容でも、読み手に与える印象というのは大きく変わってくるでしょうし、書きたい内容や自分のそのときの気分に合わせて、文体が変わるのは当たり前のことのように思えます。最近文章が書けなかったのは、こういう無意識のうちの縛りも原因の一つなのかもしれないと思い、今回は「です・ます」調で書いてみました。自分の中の勝手な縛りはなくして、文章の表現も色々試してみて、この、文章を書いていても何処かすっきりとしない状況から、早く抜け出せればいいと、そう思います。
普段通る帰り道、何か雰囲気が違うなと思えば横断歩道を渡った角の古家がなくなっていた。ぽっかりと出来たその空間は広く、殺風景だった。そこが住宅地だったことも相まってだろうか、一軒の家が無くなったことは何年も同じ風景を保ってきたその場所に、大きな変化をもたらしていた。
しかしあっという間に無くなった家だ。きっと次の家が建てられるのもあっという間の出来事なんだろう。土台が作られ、骨組みが作られ・・・と思っているうちにそこを通れば新しい家が出来上がっているものだ。新しい家はまたそこのぽっかり風景にそれなりの変化をもたらすだろう。だが、私は新しい家を迎えたその風景にもきっとすぐに慣れてしまう。何年も見てきた古家の記憶は拭い去られ、あたかも新しい家がずっとそこにいたかのような気持ちになるだろう。
大事なものは無くしてその存在の大きさに気づかされる、とよく言うが、さして大事でないものは無くなってもその程度の感覚だ。そうやってあちらの家もこちらの家もどんどん脱皮していく。あの大きな木の葉も年毎に脱皮をくりかえし、川は整備され、道路は舗装され、私のふるさとはどんどん脱皮している。今こうしている間もこのまちのどこかが脱皮をしている。
気づけばふるさとという大事なものががらりと変わってしまっていた。さして大事でないものが集まって、私の大事なものを形作っていたのだった。もっと目を向ければ良かった、小さな脱皮をもっと愛しめばよかった。そう思った帰り道だった。
二階建てという発想はいつ生まれたのだろう、ということがふと気になった。住居を重ねて積み上げるなんて、尋常な発想ではない。建築史的に見れば革命的な概念であったに違いない。建築史の専門家は「世界最古の二階建て建築物」を知っているのだろうか。
二階建てに限らない。平屋ではない、複数階を積み上げた歴史的な建築物を思いつくままに挙げてみる。ストゥーパ・黄閣楼・五重塔・ピサの斜塔・金閣寺。どれも一般的な住居ではなく、権威とか宗教の象徴としての建造物である。単に背高のっぽにするのではなく階層的な構造を造るということが、いったいどのようにして発想されたのであろうか。
住居としての二階建てができたのは、ごく最近のことと思われる。都市が拡大し、人の数が増え、平屋ではそれだけの人を収容できなくなったために、階を積むことが考えられたのであろう。しかしそれは大した事件でもなく、歴史的に連綿と続いてきた階層建築の伝統を住居に応用しただけに過ぎない。
先史時代の人々が、部屋を上に重ねてみようという気になった、その過程に私はえらく興味を引かれる。自分の部屋を見回してみて思うに、部屋の上にもう一つ部屋を重ねようという発想が生まれるためには、部屋自体が重ねる気の起きるような形をしていなければならぬ。つまり、二階建ての起源には、部屋が四角くなったという出来事が大きくかかわっている気がする。むろん、四角(直方体)という形は狭すぎる十分条件で、とにかく床と天井が平行な平面であることが必要である。しかし一番造りやすい形はやはり四角であろう。
我々はもはや四角い部屋に住むことをなんとも思っていないが、人類史的に見れば、部屋を四角くあらしめた瞬間は大きな転換点であったろう。二階・三階と建物を積み上げ、文明の中に自分たちを規定していく歴史がそこからはじまったのだ。そんな気がしてならない。
正雀トワイライト 逢魔が時の炊事の匂い 下町のわりと平凡な日の終わりは 分厚い雲に囲まれ 鬱屈した期待の下にある (突然降る雨の轟音) 静まる世界 雲のはざま 明日への他愛ない胎動 橙に煌めく