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先週に引き続き、山の話題となってしまうが許してもらいたい。化政期の浮世絵師、葛飾北斎が作った富嶽三十六景は最近では文房具のデザインなどに使用され、日常でもよく目にするようになった。世界にも名を轟かせた彼の版画は、これはあくまで私の印象だが、力強さと繊細さを持ち合わせその中に遊び心のある魅力的なものに思われる。
三十六景のなかに通称「赤富士」と呼ばれる作品がある。その版画には、朝日に赤く染まった富士山が全面に描かれ、奇妙な雲を抱いた真っ青な空が背景にある。そして、山すそのあたりは木々らしきものが見られる。富士山が赤く染まるのは夏から秋にかけての日の出のときだそうだ。
先日、北斎の赤富士にも負けず劣らずの迫力を持つ赤い富士を私は実際に見たのだった。それは厳密に言えば夕日に染まったものなので赤富士とはいえないが、山肌が燃えるような赤に染まり、日が沈むにつれて下のほうから夜が重ねられ、最後は雪の積もる山頂だけが鮮やかな赤を発する様は、赤富士に匹敵する芸術性を兼ね備えていた。
両者ともに美しいことに変わりはないが、その美しさには相違があった。北斎の赤富士は実際の富士山を絵画として一度ある意味での抽象化を経たものである。彼が見た富士山の中から、彼の作品を構成するにふさわしい要素を取り出して再構築したのがあの赤富士だ。この再構成は意識的であれ無意識的であれ、凡人にはなかなか出来ない業だ。再構成は絵画だけでなく写真についてもなされていると私は思っている。一方、私が見た富士山は富士山そのものであった。夏には雪は解け、江戸時代には噴火をしただろうし、今はきっと山肌はごみだらけの富士山がそこにあった。もちろん噴火の形跡やごみが肉眼で見られるわけではないが、富士山のどんな歴史も性質も、こちらの都合で取り払うことは出来ないのだ。そこにあるという、富士山の存在そのものを私は見ていた。同じように赤く染まっても、取り払えない要素の集合体としての富士山は表情だけでなく人格すら持っているのではないかと思わせたのだった。

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 私が足繁く通っている研究室に、若い助教の先生がいる。アメリカでの留学経験があり、自主ゼミの合間に、海の向こうの研究事情などを語ってくれる。先日は『「PhD(博士号)」とは「Defense of Philosophy」である』ということを教わった。
 もちろんPhDは、実際にはDoctor of Philosophyの省略形なのだが、Dを「defense=防御」と解するジョークには、博士すなわち専門家になれば、自分の学説ないし理論を命がけで守らねばならない、という意味合いがにじみ出ている。「一旦議論になれば、決して引いてはならない。相手に説得された時点で、PhDの称号は剥奪されたに等しい。」彼の口調にはいつになく力がこもっていた。
 この研究室の研究テーマは「生体情報処理」。生物がどのように外界の様子を認識し、行動しているかについて、情報処理という観点から迫る。研究室長たる教授は細胞に着目し、細胞そのものに心の働きを認めようとする(細胞主義)。しかしこの説には異論が多く、同じ研究科内でも完全に四面楚歌である。
 細胞主義に対立する立場として、脳全体のネットワークに心的活動の根拠を定めようとする説があり、私はその説を掲げる先生が主催する演習にも参加している。その授業では、例えば「神経を情報が伝わる」という表現を何の抵抗もなく使う。しかし細胞主義では情報は伝わるものではない。はじめから細胞の中にある。その立場の違いを知っていたから、私はネットワーク主義の先生に「そこでおっしゃっている情報とはどういう意味ですか。」と聞いた。すると彼は「例えば腕を少し動かそうと思ってもたくさんの情報が動くでしょう」言っただけで、明確な回答をよこさなかった。「はあ…」と僕は言ったものの、全く納得できなかった。ただ、喧嘩をしに来たのではないと思いなおし、それ以上追及することはしなかった。
 その話を細胞主義のゼミに帰って話すと、助教の先生が最初に書いた話をしてくれたのだった。「君を納得させられなかった時点でその理論は破綻しているということでしょう。でも君も『はぁ…』とか言って引き下がっちゃいけない。」研究者とは研究をして飯を食っている人たちである。自分の論理が否定されれば文字通り飢え死にしてしまう。何が正しいか、何が理にかなっているかという問題以前に、いかにして自分を守るかという生々しい問題が立ちふさがっていることを、私は現場の風として感じ取ったのだった。

 学園祭で買ったパズルの本が面白くて、手放せない日々が続いている。この本は私の通う大学でパズル学を研究している、いわゆる「ビラがパズルの人」という呼び名で有名な学生が中心となって作成したもので、実に様々なパズルが収められていて楽しめる。
 この「ビラがパズルの人」のブログの中に、「パズルの定石」という言葉が出ていた。その人も研究中とのことではっきりとした説明はないのだが、特定のパズルに限定せず、どんなパズルを解くにあたっても通用する考え方のことを指しているのだと思われる。それがいろんな学問に通ずる重要なものとなりうるかもしれない、ということなのだ。
 うまくできたパズルを目にした時には、ややこしいはずの自然法則がわずかな記号で公式化できてしまうのと同じような神々しさを感じる。もしかするとこのパズルも何か意味があるんじゃないか、という気になる。
 パズルの本質とは何かと言われると、究極の暇潰し、本来全く無意味なものだというところであろう。しかし実際パズルをしていると、そうとは思えない。パズルは現実的に何の力も持たないが、現実では得難い喜びや示唆を与えてくれる。
 しかしそうした良い面はパズルを解いて気持ち良くならなければ気付くことはできない。解けなければただの時間の浪費。そういう意味でパズルはかなりギャンブル的な面がある。多くの人がパズルに魅せられるのは案外そういうありふれた理由なのかもしれない。

 命数法と聞いてなんのこっちゃの方は多いかもしれませんが,「一十百千万億兆…」のことだと言われたら大抵の方がお分かりでしょう。これは「大数」つまり大きいほうで,その反対は「小数」。

 

 大数の一覧。一,万,億,兆,京,垓,秭,穣,溝,澗,正,載,極,恒河沙,阿僧祇,那由他,不可思議,無量大数。すべて四桁ずつ上がっていきます。

 

 次いで小数。こちらはけっこう知られていない部類ではないでしょうか。一,分,厘,毛,糸,忽,微,繊,沙,塵,埃,渺,漠,模糊,逡巡,須臾,瞬息,弾指,刹那,六徳,虚空,清浄,阿頼耶,阿摩羅,涅槃寂静。

 

面白いのはこういった言葉にはすべて意味づけがあるということです。それも,極端な数になるほどに仏教の色合いを含んだものになることです。

例えば恒河沙。恒河とはガンジス川のことで,その砂の数に匹敵する,という多さです。阿僧祇は梵語“asakhya”の訳で,「数えることが出来ない」の意味。ガンジス川のは数えられるのかという突っ込みは置いといて。

 

さらには小数。涅槃寂静とは,悟りの世界が安らぎの境地であることを示していますし,清浄なんて見ての通り。「一寸の虫にも五分の魂」といっても,それがある程度大きいものであることも分かります。

 

数は極端になればなるほど感覚の世界になってきます。我々であれば「天文学的」というのがこういった数を示すのに使われますが,それは現在の我々が星の距離や宇宙についての科学的知見を持って数を捉えているからと言えるでしょう。しかし命数法の単位は仏教,悟りの境地の純粋さ,功徳の偉大さを意味しています。これらの言葉の生まれた時代はこれで数を伝えることが出来たというわけです。そうすると,数のイメージというものが全く違ったものになるわけです。

 

科学的に同じものでも,イメージだけでこうも変わる,そんなものは身近にあったのだな,と実感しました。

「な」は「汝」「名」、大切に思う誰か。そしてその大切な誰かに優しく呼びかける終助詞であり、またその大切な誰かが間違えそうなときにはそっと禁止してあげる終助詞。

「に」は動作の終点を表す格助詞。私に、そしてあなたに。二人は互いに「似」ることを欲し、惹きあう。

「ぬ」は打消および完了。二人は否定しあい、二人の関係は終わる。ただし終止形の「ず」よりもやわらかい語感なのは、どうしても断定しきれない複雑な感情。素直になれないもどかしい音。

「ね」は「な」と同じく、呼びかける終助詞。「な」よりも強く、一度むこうを向いた相手をもう一度振り向かせる呼びかけ。

「の」はおそらく日本語でもっとも意味範囲の広い助詞。語や文節を結びつけ連体修飾語を作る。あらゆるものは二人と関係付けられ、世界は二人のものになってゆく。

 私は早起きが苦手で、毎朝どたばたと大急ぎで出発の準備をする。もちろん、通学中も周りの景色に目を留める余裕もなく、見るものといえば進行方向と時計の針だけだ。実際に家を出る時間も遅いため、そのころにはもう太陽は顔を出すどころかだいぶ高いところにおでましになっていることが多々あるのだ。そんな私は昨日、久しぶりにゆっくりと朝を見た。残念ながら早起きによってではなく、遅く帰ってくることによって可能になったことなのだが。
 朝はご存知のとおり東からやってくる。と、同時に重厚な雲に覆われた夜の空が西の方角へ逃げてゆく。朝の領域が夜の領域を徐々に侵食する様を見て、地球が絶えず回転していたことを思い出した。私は顔を出した太陽は東の空を明らめるばかりのものだと思っていたが、その時京を囲む山々はみな光を浴びて燦然と輝いていた。今の時期の山々は赤や黄色をあふれんばかりにかかえている。しかし、その山の表情は底抜けに明るい夏とは異なっている。きたる冬を思って、山々はあふれ出す赤や黄色をぎゅっと抱きしめているのだ。弱弱しい笑顔だけはこちらに、あとは背を向けているのが11月の山々だ。その山々を朝日が照らしだす。朝日を受けて山々の表面は影の部分と光の部分に色分けされ、ぐんと奥行きが出る。朝日を受けるだけで、笑顔の裏に隠された寂しさが滲み出してきた。山に、朝に、こんな表情があったことなって知らなかった。小さいころは感じていたのかもしれないが、もうずっと忘れていた。
 忙しい人間たちに忘れられても山々は毎日、朝日に照らされる。毎朝、偽の笑顔を引き剥がされながらも、決して太陽を拒まない。
 もうすぐ冬がやってくる。雪に覆われる山々はどんな表情を見せてくれるのだろうか。早く起きて会いに行こう。
 最近急に冷え込むようになった。外の空気が肌に触れるだけで震えてしまい、何もしたくなくなるような寒さである。
 年を追うごとに寒さには弱くなっている。着衣が年々増え、できる限り肌を出さないようになっているので、やがては人生で数えるほどしか着たことのないマフラーを常備し、それでも足らずカイロをそこら中に貼り付ける日々を送るだろう。昔は何であんな短パンで平気だったのか?昔は今よりずっと温かかったのだろうか?
 だんだん頭を使う歳になるにつれて、逆に何でもかんでもいちいち頭を使って頑張らなければいけなくなったのかもしれない。ガキの時は厚着したくないんじゃーッ!!と思うだけで寒さが苦にならなくなったような気がするが、今はそんなことを思っても寒さが沁みてきて他のことが考えられなくなり、結局厚着してしまう。心とからだの解離が始まっているのである。そういえば自分でやる気を出そうと思ってもなかなか出ないが、同じことが原因となっているのかもしれない。
 寒さに負けない強い子になりなさい、というのはこういうことなのかな、と思った。何だかとても運動したい気分になってきた。勿論、心の運動がしっかりできるようにするためである。
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