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孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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雪しげくふりゆく年もまぼろしか日々こころ憂く思ひこそすれ
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 2ヶ月ほど前から日記をつけ始めていてそれなりに色々書いてもいたのだが、3日坊主ならぬ3週坊主となり、ここ最近はめっきりつけられていない。
 そもそも日記をつけ始めたのは、頭の中に色んな考えが浮かんでは消えていくということが多くなって、どこかにその考えを残しておきたいと思ったからである。
 例えばデイリー孝太郎の執筆者なら分かると思うが、今週どんなものを書こうかと悩んでいると、必ず私的すぎてウェブに公開できないけれど自分としては結構面白い文章が一つや二つ思い浮かんだりするものである。文章を考えるのはなかなかしんどいものであるし他人にも是非読んでもらいたいと思うけれど、公開することができない。そしてそのまま放っておけばやがて忘れてしまう。それは勿体ない。
 こんな葛藤を晴らしてくれるのが日記であった。思い付いたが投稿できない文章をいわば裏・孝太郎として日記にストックし、いつか日の目を見させてやろうと暖め続けるのである。
 
 こんな感じで日記は私にとってそれなりに重要な役割を担うものであったのだが、日記をつけるとなると頭が自然と身構えるのか、つける前ほど色々浮かんでこなくなる。生活も極めて単調であるからやがてとりたてて書くこともなくなる。何より毎日つけるのは面倒くさい。かくして今に至る。毎日何か書けるという継続性と感性とをしっかり持ち続けるのが大事なんだなぁと分かるだけなのであった。

 

 夕焼けがマンネリ化しないことには毎回驚かされます。日常茶飯の事々は「よほど当たり前すぎて関心を払う必要がなく,しかも合理的でマンネリ化に問題なし」か「マンネリ化を避けようと何かしら無駄な努力をする」のどちらかかと思います。前者は例えば風呂に入ったときに何処から洗うか,なんかや朝,学校やその他必要な場所への移動の経路。後者は食事のメニューなんかが代表例。
 
 そこに夕焼け。今日は黄土色。昨日は雲の下から黄金,しかも澄んだ色。太陽の動きなんて未来永劫約束されたマンネリズム,差異といったら若干の南中高度始めとした微細な変化のみ。でもきれいです。何故かきれいです。晴れた日のグラデーションも一日違えば度合いが違い,雲も飛び方が違い。
 
 しかしよく考えたら昼間の青空も姿かたちが違うんですよね。白っぽかったり,高さが違って見えたり。雲が一粒だけ飛んでいたり。夕焼けは時期が短いから,印象深い色だから,けっこうその違いがはっきりと分かるのでしょう。
 
 そう考えたら,日常の諸々へのマンネリ化に対する特効薬は「考えて差異を見つける」と拡大解釈できそうですね。マンネリ化が悪いわけではないですが,同じことに持続的に良さを感じ続けるのにもエネルギーが要るな,とよく思うもので。夕焼けのほうからしても別に明日は違うメニューの色合いにしようなどとは微塵も考えていないわけでして。そのくらい気楽なものとして日々に風を吹き込んでいこうと思うものです。
なくしてからそのもの大切さに気づくとはよくいうが、有形のものが無に帰するというのはどんなことでもむなしいことだ。無常観もそうだし、文学の原動力にも、日常のメランコリックな気分にも、このむなしさはとうとうと流れている。
先日、生物についての話題の新書を読んだのだが、そこによるとどうやら人間を含め、生物の細胞を構成する原子というのは次々に新しい物に置き換わっているそうだ。皮膚のターンオーバーはよく聞く話だが、内臓や骨を構成する原子も次々に新たに取り入れたものに置き換わっている。著書の中に生命は原子の流れが部分的によどんで濃くなったところだ、といった記述があったのを覚えている。
なかなか信じがたい事実だが、そうなると人間という生命体は果たして有形のものなのだろうか?という疑問がわいてくる。目には見えない原子がなんとなく集まったところが私なら、私はもとから存在しないのではないか?今日の私と1年後の私はまったく異なった原子で構成されているのだから。
形あるものがなくなってしまうむなしさか、もともと存在しないものが(存在しているように見えていて)あるべき姿へと還元されていくことのむなしさか、どちらがつらいだろうか。私の場合は後者の方がなんだかとても安心できる。いや、安心というよりもむしろ幸運に近いものを感じる。意思のないタダのつぶつぶが偶然にもしかも正しく集まって、私を作っている。ここに存在することがラッキーなのだ。こう考えると、せっかくの神秘を自らの手で壊したいとは、とうてい思えなくなる。
まぁこれは主観の問題である。いずれにせよ、有なのか無なのかわからない私たちは実にあいまいな存在である。しかし、そのあいまいな中にただひとつ明確なことがある。目にも見えないし、どこにあるのかさえ分からないが、この体のなかに感情をひしと受け止めることができる。感情なんて錯覚かもしれなし脳みそのいたずらかもしれない。けれど、私を駆り立てるものはその感情以外にはありえないのだ。そして思うに、人間はこの「感情」を頼りに短くて長い歴史を歩んできたのだ。私たちは有るのか無いのかということを考えるのは楽しいが、その終わりの無い議論からちょっとはなれて休みをとる場所も必要なのだと思う。
 日本人として生まれて日本語に囲まれて育ち、12歳から英語を習い始めておよそ6年間親しんで、前者はかなり自由に、後者は少しばかり操れるようになった。そこに今年からドイツ語が加わり、調子に乗ってラテン語にも首を突っ込んだ。
 語学の予習に追われる1年間で、無駄に時間を取られることもあったが、私はそれなりに得るところも大きかったのではないかと思っている。なによりも、文法の存在がいかにありがたいかということを、身をもって感じた。
 今年の4月までは、私はドイツ語についてもラテン語についても語学的知識は皆無であった。しかし先頃、両者とも文法の学習が一通り終了し、早くもまとまった文章を読む段階に突入したのだ。夏休みをはさんでいるから、実質約半年しか学習していないにもかかわらず、辞書さえあれば文章をそれなりに読めるようになってしまったのである。ドイツ語ではカフカの短編を、ラテン語ではオウィディウスとかウェルギリウスとかを読んでいる。
 こんなにも早く文章が読めるようになったのには、いくつか理由がある。ひとつには、英語という第一外国語の学習体験が、教訓として働いたということがあるだろう。しかもドイツ語もラテン語も結局は西欧語であるから、英語の感覚がおおむね通用する。その事実も重要である。
 しかし、やはり一番大きいのは、文法の力だと思う。とにかく文法さえわかっていれば、辞書が正しく引ける。そうなれば勢い、大概の文章がなんとなくでも理解できるようになる。例えば動詞がどのように活用するかということを実生活の経験から割り出そうと思えば、とてつもない時間がかかるが、その点、体系化された文法を学習することは非常に効率的なのである。
 ただしこの学習法は、会話などの生活に密着した部分には明らかに弱い。それが証拠に、私は全くと言っていいほどドイツ語会話、ラテン語会話ができない。もちろんラテン語についてはすでに死語であり、会話する必要はないのだけれど。「口をついて出る」ようになるには、現地での生活、その国の映画や歌との触れ合いなどが、また別に必要なのであろう。

池上彰氏の書いた「そうだったのか!現代史」のパート2を読んでいる。池上氏は「週刊子どもニュース」でお父さん役を務めていたジャーナリスト,と言えばお分かりの方は多いと思われる。

 

本は現代史,およそ戦後からイラク戦争にいたるまで,特にややこしい世界の政治的問題を分かりやすく解説するものである。例えば冷戦,核開発,イスラエルといったものからアウン=サン=スー=チー氏,文化大革命やポル・ポトまで,意外と文献や正確な情報の少ないもの,むしろ何を正確とするか掴みにくいものまで,ニュース記事を主として分析している。共感を誘う池上氏のコメントもあって,キナ臭いテーマまで読みやすくなっている。

 

ところで,このように現代史について読む,ないし書くことがあるたびに,「同時代」という言葉が頭に浮かぶ。生きている間,他人と同じ間の時代,ということであるが,生きていることはこれを意識するには余りに平凡である,とよく感じる。

 

例えば,学者なんぞはグローバリゼーションの功罪を論じ,この格段に進んだ形を我々の同時代人は体験するであろうに,今はなんともお気楽に多文化主義など言われる。金融危機は世界の構造の脆さを露呈しただろうに,その意義は差し置き雇用問題である。もっとも,これは余りに切実なだけに悪いことではないのだが。

 

教育においても然り,学級崩壊やいじめ,不登校が広くいわれるようになり,「ゆとり教育」の名の下で学力偏重への改善が行われたかと思いきや,さっそくバックラッシュを食らったのが,我々が小学校~大学生といったところの同時代である。

 

「江戸時代の人間は幕府が倒れるなど想像もしなかった」とはよくある指摘である。社会分析を聞いたり,歴史を読んだり教えたりすると,その度ごとにそれら解釈というものがいかに後からみると整然として行いうるかが伝わってくる。明日のニュースには,後世「大きな転換点」とでも言われるような事件が起こるかもしれない。今知識を持つ人々はは子どもの代にはもはや「時代の生き証人」扱いかもしれない。未来には可能性があると自分も考えるのだが,その一方でこのスリルというか,寒気と言うかが感じ取れるのである。

「や」は優しい音。癒す音。「あ」を包む半母音/y/のクッションは何事も受け入れる優しさ。イ段の全てについて拗音を形成するのも、そういった人当たりの良さから。

や行の「い」というのは、母音/i/の半母音化したものにまた/i/が付くのであるから、実質的にはあ行の「い」と区別が出来ない。しかも、ヤ行で活用する動詞は、古語では「老ゆ」などがあったが、現代語では絶滅してしまっている。五十音の中でも幻の音と呼べるだろう。

「ゆ」はゆらゆらと揺れ、歪んだ夢を見るような幻想的な音。ゆっくりと暖まりゆくお湯のじわじわ。/y/と/u/の微妙な口の変化がゆっくりと空気の流れを変える。

や行の「え」は上代には「いぇ」で、発音上区別があったと推測される。しかし、ワ行の「ゑ」と違い早くにあ行と同化したために、記号を与えられなかったかわいそうな音。

「よ」は寄りつく音。それは夜の闇のように。それは世の中の余計なよしなしごとのように。いつも我々を呼ぶ黄泉の声のように。

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