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養老孟司講演会「河合隼雄と『まともな人』」を国際漫画ミュージアムで聴いた。心理学者・河合隼雄氏の一周忌を記念して開催されたもので、ミュージアムの館長でもある解剖学者・養老氏が鎌倉からやってきた。生で見てもやっぱり白髪がふさふさだった。
講演内容は、別に河合氏と直接関係するものではなかった。話の端々に「河合さん」という言葉は出てきたが、それはあってもなくても話の筋には問題のない「河合さん」であって、養老氏の下手なお愛想に違いなかった。あの養老氏が誰かの生前の思い出をとうとうと語るなど、そもそもあり得ない話である。
話題の中心はもっぱら、養老氏がさまざまな著作の中ですでに述べている自論のいくつかであった。その中で、自分自身の体験をもとに人の「死」について語った部分が興味深かったので、少し紹介する。
養老氏は4歳の時、父親を亡くした。何も言わなくても母以上に自分の気持ちをわかってくれる一番の理解者だったという。臨終に立ち会ったとき、周りの大人に「お父さんに“さようなら”を言いなさい」と促されたが、なぜか何も言うことができなかった。父親は一瞬静かな笑みを浮かべて、息をひきとった。泣きじゃくる姉を見て、「なぜ僕は泣かないのだろう」という妙な疑問と、「ここで泣かないのは悪いことではないのか」という罪悪感が子供心に残ったという。
学生時代も、社会に出てからも、養老氏にはひとつ苦手なことがあった。街で顔見知りの人に出会ったとき、きちんとした挨拶ができないのである。お宅の息子の態度はなっていない、と自宅に苦情がきたこともあったという。
40歳を過ぎたある日、地下鉄に乗っていた養老氏はハタと気がつく。自分が知り合いにきちんと挨拶ができないということは、大好きな父親に“さようなら”を言えなかったことと関係があるのではないか、と。そう気付いたとき、氏の目に涙があふれた。氏は低い声で語った――「私は思いました。『今、父が死んだ』と。」
「死」とは何か。それはあらかじめ決まっているものではない、人が「死」だと認めるかどうか、それが「死」の基準だ。養老氏はこう主張する。だから脳死が問題になる。あれは、生理学的な正否を問うものではない、認めるか否かという問題なのである。養老氏は4歳で直面した父の死を認めなかった、あるいは認めたくなかった。地下鉄の中で悟るまで、氏の中で父親は40年間生き続けたのである。
「もう今じゃ、生きてる人は誰も死なないと思うことにしてるんです。」と氏は笑いながら語った。「河合さんも死んだかどうかわかんないじゃないですか、きっと生きてるんですよ。それでいいじゃないですか。」
ところで教習の際一緒に乗ってもらう教習員は毎回変わるのですが、私の教習員は何故かおっちゃんが多いです。そしておっちゃん達は教習中になると、話題がないからか普段しゃべり相手があまりいないからか、決まって自分の哲学を語り出すのです。
ある日の教習員は交差点を通り過ぎるイカしたGT-Rに反応した私に対して、「車乗ってるとどうでもいいことにも目がいくようになるやろ。すると意外と色んなことに気付くのよ。車乗ると人生変わるよ。」と言いました。
自動車に人生を見い出しているとはいかにも教習員らしくかっこいいなーと思いました。自動車を操る上で習得する技術が人の考え方まで変えてしまう…何だか唯物論みたいです。では、自動車の技術を極めている教習所のおっちゃんは更に『自動車っぽい』考え方をしてるんだろうか…なんてことを考えました。自分の職業らしい考え方を持つのは一概に良いとは言えないだろうけど、面白いことだと思います。
またそれと同時に、去年私は植物をじっと観察するのに少しはまっていた時期があったのですが、その時よく観察すると無秩序に見えるものが意外に分かりやすい仕組みを持っていることを実感していたことを思い出しました。何となくおっちゃんの言ってたことと似ていたからでしょうか。
なかなか進まない教習ももう少しで終えることができそうですが、それまでに自動車の技術以外にも色々なことを思い出したり学んだりしておきたいと思ったのでした。
カレンダーのページをめくり、期待に胸躍る。8月がやってきました。
むかしむかし、アウグストゥスという偉い人がカレンダーを作り直すときに、八月に自分の名前をつけて、30日だったのを31日に増やして、そのせいで2月の日数が減っているとか何とか。だからまあ、8月31日に急いで夏休みの宿題をやっている小学生はアウグストゥスさんに感謝しなさい、なんていう小噺があるかは知りませんが、8月、長いですよね。何しましょうね。
ときに。8月のカレンダーには何か特別な印象を受けるように思います。それはまず祝日がない、ということ。左サイドには赤い数字が並んでいて、右サイドは青い数字。あと黒! そういう視覚的なわかりやすさに加えて(祝日がないのは6月も同じですから)、その色の違いが記号的意味を何も持っていなくて、赤も青も黒も全部休みという痛快さがありますね。
これを喩えるのに8月の空、というのはどうでしょう?上を見上げると抜けるような青空。遠くの空には入道雲が、青い空の美しさを引き立てています。
(実際には積乱雲というやつは夏の夕立の原因なのですけれども。「入道雲」というとなんとなくニュアンスが違いますね。)
(同じ喩えで言えば6月のカレンダーは一面の曇り空といったところでしょうか。どこまで言っても平日というのは気が塞ぎます。)
八月のカレンダーを見ていてもう一つ思うのは、8月15日の存在感。これだけ一様な8月の空の、よりにもよってど真ん中にお盆且つ終戦記念日という心理的に重い日がずっしりと構えているというこの絶対的な輝き。これはまさに太陽のあり方でしょう。生と死を象徴するように我々の頭上で活動し続ける太陽。なんだか宗教的なにおいのする話になってしまいました。
人が死ぬとあとには何も残らないのではないかと不安になる。生きているうちは超越的な何かを感じていても(それを神だという人もいる)、死すればそのまやかしさえ消えてしまうのではないかと考えるときがある。その人が生きていた証はどうやったら残るのだろう。子供を生み残すこと?歴史に名を残すこと?確かにそのひとが過去に存在したことは、それによって明らかになる。しかし、ただそれだけのことだ。その人の子供はいつか死に絶え、後世のものによって歴史は塗りかえられる。
私はある日2つの遺産に出会った。特に意識はしていなかったのだが、それらはともに私の大切な人の大切な人が遺したものだった。
1つは美術作品であった。繊細な雰囲気を持ちながら芯のスッと通ったその作品は、そこで誰の目をも奪っていた。この作成者のことを私はほとんど知らない、しかしその人がその作品の中に生きているような気がした。
もう1つは音楽であった。力強い魂の叫びのような歌は、涙を誘った。この歌手の声を私はほとんど知らない、しかし後に歌い続ける人とその人を重ねて見ていた。
何も残そうとしなくてもいいのかもしれない。100年後、私を知っている人がいたとして何になろうか。きっと自然と残るべきものは残り、伝えられるべきものは伝えられる。人間の力にはそういう不思議な偉大さがあるのだ、そう感じた1日だった。